先日の記事に寄せられたトラックバックで、気になったものに言及してみます。

 結局のところ、文学にしてもエロゲにしても、届かなければ価値はないと思う。届いて初めて、それが面白いとかつまらないとか言えるわけだし。だから文学は「高尚」とか言ってそれを読まない奴を貶めるんじゃなく、もっと読者を広げる努力をしてほしい。消費されなければ届かないような遠い場所に伝えるべき読者はいる。逆に、エロゲはその面白さをいかに語るかという部分を文学に学ぶべきだろう。いや、既に文壇がえらいことになっているらしい文学よりも、映画の方がいいかもしれないけど。

 文学でもエロゲでも、作品を、その良さを他者に伝えようと思うのなら怠惰であってはならない。「高尚」とか「萌え」なんて言葉をいくら重ねてもそのおもしろさは届かない。そんな与えられた「ことば」じゃなくて、わかりやすい自分自身の「ことば」で語れよ、と思う。「読んでみたい」と他の人に思わせるのは本当に難しいことだけど、認めてほしいのなら逃げちゃいけない。

で、言いたいことは何かというと、

「別に、文学なんて読まなくたって良いし、エロゲだってやらなくて良いし、どっちも好きな人だけ楽しめばいいじゃん?」

と言うことで。

あのですね、別に「お前らに迷惑かけてないから良いだろ!」とか、周囲にばれた時のオタクの言い訳じゃなくて、はっきり言って、文学──というより、小説と言った方がしっくり来るけど──とか、エロゲとか、理解不能な人には、まったく未知の世界なわけです。

まぁ、一応小説は義務教育9年間でそこそこは読まされるので、エロゲよりも可読人口は多いと思いますが、それでも、ほとんどの日本人(外国の事情は知らないので、日本人限定)は、小説ほとんど読まないですよ?

 ここらへんのことはいつも意識しています。

 自分のことばがどこまで届くか、ということ。言い方を変えると、自分のことばにどの程度の普遍性があるか、ということでもある。

 インターネットを利用している以上、ネットを使用しないひとには届かない。まずその時点でひとつの限界がある。

 次に、書評サイトだから、ふだん本を読まないひとには届かない。これもひとつの限界。

 そういう限界条件がいくつかあって、結果的に一定の範囲にしかことばが届かない現状があるのだと思う。

 でも、できればこの限界を打破していきたい。可能な限り多くのひとにことばを届けたいと思う。

 もちろん、そうやって多数の読者を獲得することは、それ相応の誤解や軋轢を生みやすくなるということでもある。それでも、やっぱり、広い範囲に届いたほうがいい。

 ただ、現実にそういったことばを見つけられるか、と言うと非常にむずかしい。

 良く「それはただ個人の好き嫌いを述べているだけだ」という言い方をするけれど、現状で本当の意味で好き嫌いを超えた批評を確率するのは非常に大変だと思う。

 むしろ、他者へ向けた言葉を捨ててしまって自分の快楽に耽溺するほうがはるかに簡単なのではないか。

 じっさい、ただ単にお手軽に欲望を満たしたいだけなら、いまの世の中は天国だと思うんですよね。オタクパラダイス。

 萌えでもエロでも百合でもやおいでも、アニメでも漫画でもエロゲでもラノベでも、欲しいものはいくらでも手に入る。

 ありとあらゆるキャラクター、シチュエーション、カップリング、その他いろいろがそろっている。

 You Tubeもある。同人誌も通販で買える。もちろんお金はかかるけれど、それだって大人の趣味としては莫大な金額とはいえない。

 ひたすらに自分にとって気持ちの良いものを消費していくだけなら、こんなに良い時代はないと思う。

 ただ、「ぼくは」それだけでは満足できない。だから自分の思考の痕跡を言葉にし、世界へ向けて語りかける。

 しかし、それがどこまで届いていくのかということは、非常に心もとないものがあります。そもそもそういった言葉が必要とされているのか、どうか。

 あらゆる作品を「自分にとって快楽であるか、否か」という尺度で切っていく人間にとっては、もはや良いの悪いの、傑作だの駄作だのといった言葉は、意味をなくすことでしょう。

 そして、それでいったい何が悪いというのか。広く通じる言葉を求めていくことにどんな意味があるのか。

 ここらへんはいまでも迷っている真っ最中で、こたえが見つかりません。