- 作者: 栗本薫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/02/01
- メディア: 文庫
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豹頭王を演じる旅芸人一行を装い、クムを走破しようとしていたグインたちは、快楽都市タイスの侯爵に気にいられ、心ならずも剣闘士としてたたかうことになる。
やむを得ずグインはその実力を発揮し、剣闘士の頂点「闘王」にまでなりおおせた。
しかし、活躍すればするほど、タイス脱出は困難になり、その正体を知られる危険も高まっていく。はたしてグインに秘策はあるのか?
と、俄然盛り上がる『グイン・サーガ』第112巻。いよいよクム最強の名も高い伝説の剣闘士ガンダルが登場する。
以前にも書いたが、このガンダルさん、実に100巻以上前からその存在を示唆されていた人物である。
そのあといくら経っても出てこないので、てっきり作者に忘れられたかと思ったら、いまになって登場してきた。
中原で三本の指に入るといわれた剛の者ではあるが、勝つためには手段を選ばないとか、こどもを殺して食べているという黒い噂もある。さて、本当はどういう人物なのか、それが明かされるのは次巻以降になるだろう。
ここのところ、第108巻から109,110,111,112と、グインが主役のエピソードがつづいている。
この豹頭のグインという男、登場人物数千人というこのサーガの主役を張るだけあって、並大抵の人物ではない。
その人柄は高潔にして剛毅、生まれながらにして王の品格をもち、無位無官の身の上からケイロニア王にまでのし上がる。
剣を取っては中原最強、軍を率いれば大軍師、政治を行えば超名君、と、あらゆる意味でほぼ完璧な人間である。
しかし、そのグインをもってしても救えなかった人物も存在する。ほかならぬその妻、シルヴィアである。
中原最大の帝国ケイロニアの皇女として生まれたシルヴィアは、しかしその恵まれた身の上のために不幸のどん底に突き落とされていく。
やること、なすこと、すべてがケイロニアの皇女にふさわしからぬと後ろ指を指され、嘲笑われ、次第に追いつめられて幼子のように夫を頼るようになる。
しかし、ケイロニア王であるグインは、個人の幸不幸よりもケイロニア全体のことを考えなければならない。
結果的にシルヴィアは夫からも見捨てられたと感じ、さらなる孤独地獄に堕ちていく。
グインがどれほど偉大であっても、否、偉大であるからこそ、シルヴィアは救われない。彼女に必要なのは、たとえもっと平凡であっても、彼女のことを第一に考えてくれる男なのだ。
世界の命運を賭してたたかう英雄が、ただひとりの少女すら救えないというこの矛盾。
この小説では、このようにあらゆる人物のあらゆる価値観が相対化されるようにできている。
宰相としてかれに仕えるヴァレリウスにとって、アルド・ナリス王は、パロ救国の英雄であった。しかし、結果的にナリスに裏切られることになったスカールにとっては、どこまでも信用のおけない陰謀好きの男にすぎない。
ゴーラの僭王イシュトヴァーンは、宰相カメロンにとって命を賭けてでも仕えるべき若者である。しかし、その血ぬられた生きざまは、多くの人びとの怨嗟の的になっている。
王子の地位を捨て奔放に生きるマリウスは、その歌声でさまざまなひとを癒している。しかし、質実剛健を尊ぶケイロニアの首脳陣にしてみれば、いい年をして責任の取り方も知らない青二才である。
あるひとから見て正しいことは、べつのあるひとから見れば愚かな行為にすぎない。また、ある国にとっての正義は、ほかの国にとっては悪行にほかならない。
はじめて登場した頃には邪悪の化身のように見えた魔王ヤンダル・ゾッグにも、いまではかれなりの事情があることがあきらかになっている。
そういう意味で、この物語は決して勧善懲悪にならない。そこにサーガとしての魅力がある。
シルヴィアの存在はグインのかかとに刺さった棘だといえるだろう。個人のわがままより全体の利益を選ぶグインの生きざまはむろん正しい。しかし、その正しさはひとりの少女の心をずたずたにひき裂いていく。
そしてシルヴィアの存在はグインの「正しさ」の欺瞞を攻撃しつづけるのである。
そういった弱く、愚かしく、悲しい個人の視点をそなえていることが、この物語の最大の特徴である。
だからここではどんな悪も、怠惰も、堕落も、絶対者に咎められることなく生き生きと躍動している。それらすべてを含めた運命の曼荼羅模様が、即ち、『グイン・サーガ』なのである。