もちろん、何が「豊か」なのかということに決まった基準があるわけじゃないし、人によっても考え方は違うだろう。傑作だけに絞って鑑賞するような生活が「豊か」だと思うのが悪いわけじゃない。ただ、実際問題として、傑作とそうでない作品とをどうやって見分けるんだろう? それが気になる。

 純粋にランダムに作品を選んでいるひとなんてまずいないだろうから、みんな、何らかの方法で見分けているんじゃないかな。

 もちろん、事前に予想しきることはむずかしいだろうし、予想しきれないからこそ実物を見る価値があるわけですが。

 さて、昨日はああいう記事を書いたわけですが、本音を言えば、たぶんそういう「つまみ食い方式」は主流にならないだろうと思っています。

 ひとつのジャンルを深く極めるにせよ、広く未知の名作を求めるにせよ、ある種の探究心が必要とされるわけで、これほど豊かな世界ではその種の精神は育ちにくいだろうと。

 そういえば、森博嗣さんがウェブログでこう書いていました。

 かつては品物が周辺になかったから、自分はこんなものが欲しいという理屈を語り合うことで欲求不満を解消した。どうしても欲しければ、自分で作るしかなかった。今の子供たちは、安価な品物がなんでも手に入る。小さな子供をショッピングセンタへ連れていけば、そこにあるものの中で自分の欲しいものを見つけるだろう。これは豊かであることの1つの弊害かもしれない。つまり、自分で、なにが欲しいか考えるまえに、それに近いものを手に取ってしまうのだ。

 これは、オタクというか、現代人全般にも言えることなんじゃないかと。ぼくたちはかつてないほど安価に、大量に娯楽作品を入手できる時代を生きているということ。

 アニメでいうなら、あえて古い名作をふりかえったりしなくても、それなりにおもしろく、心地よい作品が目の前にたくさんある。

 こういう状況下では、たぶん多くのひとは目の前にある範囲のもので満足するだろうと思います。市場が豊かであればあるほど身近なもので充足してしまうパラドクス*1

 いや、ぼくもたまに萌えアニメを借りてきて見ていたりすると思うんですよ。この程度の水準のものでもそれなりに満足できるな、と。いまなら、傑作とまではいかなくても、そこそこよくできた作品ならたくさんありますからね。

 だから、ぼくはべつに狭い世界で満足することを非難するつもりはありません。「もっと広い世界を見ろ」という言い草は、「もっとその分野を極めろ」という言い草と同工異曲のものに過ぎない。

 何をどう消費するのもそのひとの自由だし、それを他人が良いの悪いの、豊かだの貧しいのと批評する道理はないでしょう。

 ただ、ね。ぼく個人としては、やっぱり受動的に作品を享受するだけじゃなく、積極的におもしろいものを求めてほしいと思う。

 だからこそ、その一助となればとこういうサイトを運営していたりしているわけです。あくまで個人的意見であり、価値観ではありますが。

*1:全然パラドクスじゃないかも。