父が子に語る世界歴史〈1〉文明の誕生と起伏

父が子に語る世界歴史〈1〉文明の誕生と起伏

 インドの初代首相ジャワーハルラール・ネルーの書簡集『父が子に語る世界歴史』を読んでいる。

 1930年ごろ、インド独立闘争のためにたたかっていたネルーが投獄された際、まだ幼かった娘インディラに向けて書いた手紙をまとめたもので、平易な表現で世界歴史を語り尽くしている。

 もちろん、この時期のネルーはのちの大政治家ではなく、ガンディと供にインド独立をめざす一活動家に過ぎなかった。しかし、その文章を読んでいると、高潔な理想を掲げた寛容な人物であったことがわかる。

 そのことばは優しく、ユーモアに満ちている。また、娘に向けることばには愛情があふれ、ガンディを称える表現には尊敬がにじんでいる。政治家としての毀誉褒貶はともかく、一個人として見て好きになれそうな人物だ。

 さて、この本の第1巻終盤には、日本人について語った個所がある。これが日本人にとってはなかなか興味深い。日本人はそもそも戦闘的な民族である、とネルーは書く。

 日本人は、あれほど中国人に似ており、またその文明から多くのものを受けいれたのに、しかも中国人とはぜんぜん性質を異にしている。中国人は、古来本質的に平和の民であり、かれらの文明、またかれらの人生哲学はすべて平和的なものだ。ところが日本人は、むかしからいまにいたるまで、戦闘的な民族だ。軍人のおもな徳目は目上の人と同輩にたいする忠節だが、これがまた日本人の美徳であり、かれらの強さは多くこれに由来する。神道は、このような徳を教える――「神がみをうやまい、その子々孫々にたいし忠節をつくし奉るべし」――このようにして、神道はこんにちの日本にまで伝わり、いまだに仏教とともに存続している。
 けれども、これが徳といえるだろうか? 同志や大義への忠誠心は、たしかに美徳ではあろう。しかし神道にしても、他の宗教にしても、往々にして、われわれの忠誠心を利用して、われわれを上から支配する人びとの集団の御用に供しようとする。日本やローマ、そのほか、そこここでかれらが唱導した教え、すなわち、権威の崇拝、これがどんなにわれわれに害毒をおよぼしたかを、わたしたちはのちに知るだろう。

 もちろん、日本人としては言いたいことはある。しかし、もとが私的な手紙に過ぎないことをかんがえれば、揚げ足を取ってみても意味がない。

 また、ネルーの真意を知るためには、当時の時代背景を踏まえる必要があると思う。イギリスの帝国主義にさからって投獄されたネルーには、欧米を見習って帝国主義化していく日本はさぞかし危険な国に見えただろう。

 そして事実、その後の日本は軍国化し大戦争をひき起こすことになるのである。そういう意味では予言的なことばといえるだろう。

 ちなみに、ネルーがこの手紙を向けた娘インディラとは、のちに父のあとを継いでインドの第三代首相となるインディラ・ガンディそのひとである。しかし、この時点では父も子も、まだその運命を知らない。