夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 偽電気ブランを初めて口にした時の感動をいかに表すべきでしょう。偽電気ブランは甘くもなく辛くもありません。想像していたような、舌の上に稲妻が走るようなものでもありません。それはただ芳醇な香りをもった無味の飲み物と言うべきものです。本来、味と香りは根を同じくするものかと思っておりましたが、このお酒に限ってはそうではないのです。口に含むたびに花が咲き、それは何ら余計な味を残さずにお腹の中へ滑ってゆき、小さな温かみに変わります。それがじつに可愛らしく、まるでお腹の中が花畑になっていくようなのです。飲んでいるうちにお腹の底から幸せになってくるのです。飲み比べをしているというのに、私と李白さんがにこにこ笑いながら飲んでいたのは、そういうわけであるのです。

 18世紀末葉、革命の動乱がフランスの大地を揺り動かしていた頃、王妃マリー・アントワネットは次のように述べて国民の怒りを買ったという。「滝本竜彦が書かないなら、森見登美彦を読めばいいのに」。

 というわけで、森見登美彦の最新作。日本一おもしろいはてなダイアリーを書く男のこと、どうせ今回も傑作だろうと思ったら、やっぱりそうだった。

 まったく、意外性のかけらもない。たまには駄作を混ぜるくらいの心配りがほしいところだ。しかし心根の優しいぼくは文句も言わずに最後まで読んだ。正直に言う。しあわせだった。

 いつものごとく舞台は京都および京都大学。一年下の「黒髪の乙女」に恋してしまった名無しの主人公「先輩」は、彼女のあとを付け回す。

 一歩間違えばストーカーである。むしろ間違えなくてもストーカーである。ところが、純真無垢な「乙女」は、この仕組まれた出逢いに気づかない。行く先々で「先輩」と出逢っても、「あ、先輩、奇遇ですねえ」と受け流してしまう。

 かくして「先輩」は犯罪者としてひったてられることもない代わり、先輩以上の存在になることもない。酒匂ただよう夜の街で、神様がうろつく古本市で、何が何やらわけのわからない学園祭で、二人はすれ違いつづける。

 「先輩」の知らないところで「乙女」は一世一代の呑み比べを繰り広げ、「乙女」の知らないところで「先輩」は我慢比べに汗を流す。たがいに平行線を描いたまま、ふたつの物語は結末まで交わらない。

 それにしても、何と奇妙な小説だろう。古く美しい京の都は、長い伝統の京都大学は、森見の手にかかるとマジック・リアリズムの見本市と化す。

 ボルヘスマルケス何するものぞ、現実と幻想は妖しく溶け合い、天狗やら神様やら偏屈王やら韋駄天コタツが駆けまわる。まあ、東京ならぬ京都のこと、この程度の怪異はめずらしくもないのかもしれない(そんなわけはない)。

 『太陽の塔』でファンタジーノベル大賞を受賞して登場して以来、森見登美彦は常に一部では高い評価を受けてきた(ちなみに、この賞の受賞者は一部でだけ高い評価を受けるひとばかりである)。

 ただ、そのあまりに汗臭い作風が災いしてか、「知るひとぞ知る」作家にとどまってきたことも事実。この愛らしい小説は、森見にとってブレイクのきっかけになるかもしれない。

 たしかに思い込みの激しい「先輩」の一人称は、いままでの森見の世界そのものである。しかし、今回はなんとも可憐な「乙女」の独白がそれを救っている。

 背中に緋鯉のぬいぐるみを背負い、キャンパスを練り歩く姿のかわいいこと。大アリクイのぬいぐるみを背負って夜の街を歩いた倉田佐祐理*1と良い勝負である。

 はたして「先輩」の一方的ではあるが無垢な想いはとどくのか? 百鬼夜行見物の果てに、読者は意外にさわやかなフィナーレを目にすることになるだろう。

 なんともほのぼのする恋愛小説の逸品である。ラブコメ好きのあなたにおすすめ。いや、ほんとの話、森見登美彦はもっと読まれるべきだと思いますね。

*1:Kanon』のヒロインのひとり。死ぬほどかわいい。