今月号の『コミデジ+』にはコゲどんぼによる漫画『ウィンターガーデン』前篇が掲載されている。

 知っているひとは知っているだろう、原作は『デ・ジ・キャラット』の主人公、でじこの10年後の姿を描いた長篇アニメである。

 いまのところ原作に忠実な展開で、せりふも含めてほとんど原作を逸脱しない。ただ、そもそも原作がかなり微妙な企画なので、漫画版にもそれなりの違和感が付きまとう。

 もっとも、見方を変えればその違和感こそがこの物語の最大の魅力かもしれない。じっさい、プロットだけ見れば他愛ない話なのである。

 物語はクリスマスの夜から始まる。アルバイト帰りにケーキを落としてしまった少女は、ある青年に助けられる。聖なる夜のボーイ・ミーツ・ガール。ふたりはそれをきっかけに恋に落ちていく。

 本当にただそれだけの話で、主人公があのでじこでなければ(でじこだという設定がなければ)、特に見るべきものはない。だから、読者がこの少女をでじこだと認識できるかどうかで作品の価値は大きく変わる。

 知らないひとのためにリンクしておくと、『デ・ジ・キャラット』におけるでじこのキャラクターデザインはこうで、それが『ウィンターガーデン』ではこうなる

 でじこの特徴である非現実的な装飾が取り払われ、はるかに現実的な、見方を変えれば地味なデザインになっていることがよくわかる。

 でじこのデザインはいわゆる「萌え絵」のひとつの頂点である。低い頭身、巨大な瞳、猫耳とメイド服をはじめとする無数の装飾――過剰なまでに「萌え要素」をもりこみながらも、どこかにかわいげをのこした、コゲどんぼの傑作デザインだ。

 『ウィンターガーデン』のでじこは、そのデコラティブな部分をほとんど削除されながらも、かすかに面影をのこしている。

 本編には作中人物の名前は名前が登場しないため、アニメ版の初公開時にはスタッフロールで初めて主人公がでじこだと気づいた観客からおどろきの声があがったという。

 つまり、純粋に作品だけを見ていれば作中の少女がでじこだと捉える根拠はほとんどないということになる。ならば、この物語を『デ・ジ・キャラット』の続編と捉えて良いのだろうか?

 どこまでが正統な続編で、どこからがただのパロディなのか。その境界を見極めることはむずかしい。

 『ヴァリスX(クロス)』という作品がある。イーアンツから発売されたアダルトゲームで、十数年前に人気を博したゲーム『夢幻戦士ヴァリス』の正式な続編である、ということになっている。

 しかし、この作品は発表時、大きな反発をひき起こした。恋愛映画の続編としてポルノ映画を製作するようなものだから、当然といえば当然だろう。

 とはいえ、正式に製作権利をもつ会社による正統な作品であることもまた間違いないのである。ただ、製作スタッフはほとんど共通していないし、内容的にもあまり共通項がなさそうだ。

 たしかに共通しているといえるものは、キャラクターの名前くらいである。いったいこのゲームは即売会で売っている同人誌と何が違うというのだろう?

 同じような例としては、エルフから発売された『新御神楽少女探偵団』という作品もある。これはプレイステーション用ソフトとして人気を博した『御神楽少女探偵団』の続編だ。

新・御神楽少女探偵団

新・御神楽少女探偵団

 『ヴァリスX』と比べるとシステム、製作スタッフなどに共通項が多いため、『ヴァリスX』のときほど大きな反発はなかったように思う。

 しかし、それでもこの作品が『御神楽少女探偵団』の正統な続編といえるかどうかには、弱冠の疑問がのこる。

 製作スタッフが共通していれば良いというなら、たとえばスタッフの誰かが趣味でゲームを作ったとしたら、それも正統な続編といえるだろうか? ぼくたちはどこでオリジナルとパロディの区別をつければいいのだろう?

 結論からいうと、はっきりその境界を定めることは不可能だと思う。なぜなら、物語の連続性というものは、その作品を体験しているユーザーの幻想にすぎないからだ。

 作り手が連続した物語のつもりで製作しても、もしユーザーが「こんなものは続きとはいえない」と感じてしまえば、魔法は解ける。

 すべては受け手の受け取り方ひとつ。あらゆる意味で正統な続編でも、受け手が連続した物語として認識できないようでは、オリジナルと同じ世界の物語とは言い切れない。

 逆に、愛読者がかってに作った二次創作でも、受け手がオリジナルと同質のものとして受け止めれば、そのひとにとっては同じ世界の出来事といっていいと思う。

 それでは、『ウィンターガーデン』はどうなのか。ぼくは案外悪くないのではないかと思う。10年後のでじこは、あのでじことはまったくの別人だが、それでいて、どこかにでじこらしさをのこしている。でじこかわいいよでじこ

 ただ、こういう企画がある意味では禁じ手であることも事実。この企画は、ある意味で『デ・ジ・キャラット』の商品価値を下げてしまっている。これからはいくらでじこが毒舌を吐いても、もう以前と同じ目で見ることはできない。

 この作品がいわゆる「黒歴史」として封印されることになるのか、それとも『デ・ジ・キャラット』の世界を拡張することに成功するのか、なかなか興味深いところだ。

 個人的な意見をいうなら、あまり一般的な感想ではないかもしれないが、ぼくはこの物語を読んでいてなんだか切なかった。でじこも歳をとるのか、という苦さ。

 『ウィンターガーデン』では、10年後のでじこを描くことによって、永遠に静止した『デ・ジ・キャラット』の世界に「時間」を呼び込んでしまっている。

 あのでじこも歳をとり、大人になり、毒舌を吐かなくなり、恋をするのだ、そう思うとなんだかやるせない。

 ぼくたちは皆、絶え間なく歳をとりつづけている。いつまでも子供のままではいられない。それはわかっているのだが、でじこには永遠にあのままでいてほしかった。時の流れって、残酷だなあ。