『攻殻機動隊』から『順列都市』まで。仮想現実SFの現在。

順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

「前にもこれを体験したのは、覚えているわ。前回あなたがいったことも、覚えている――最悪の場合、あなたは最初の百年間、一という数字のことをずっと考えつづける。次の百年間は、二という数字を考えつづける。その先は、それが無限につづく。数字が思い浮かべられないほど大きくなったら、必要なだけ精神を拡張すればいい。証明終わり。新しくて刺激的な興味の種が尽きることは、絶対にない」 

 永遠について考えたことがおありだろうか?

 ぼくたちは、自分の意志によってではなくこの世に生み落とされ、やがて年老いて死んで行く。そのあいだ、わずか百年足らず。何という卑小な生! しかし、もし人間に永遠の命があったとしたら、何が変わることになるだろう?

 永遠とは、数千年やそこら寿命がのびることではない。何十万年でも、何百億年ですらない。この宇宙そのものの寿命すら超えて、永遠に生きつづけるとは、どんな意味をもつことなのか?

 グレッグ・イーガンのSF長篇『順列都市』はそんな素朴な問いをどこまでも追求した作品である。

 SF史上、というか文学史上、不死や永遠といった概念を追った作品は数多い。たとえば、ぼくらは手塚治虫の〈火の鳥〉を読むとき、そこに宇宙的なスケールを見て目も眩む思いがする。

火の鳥 1 黎明編 (角川文庫)

火の鳥 1 黎明編 (角川文庫)

 しかし、グレッグ・イーガンの想像力はその次元をはるかに超越している。『順列都市』のスケールは宇宙的ではなく、超宇宙的なのである。

 はじまりは西暦2050年。この時代では、仮想空間上に人格を走らせた〈コピー〉と呼ばれる大富豪たちが世界を支配している。もっと貧しい〈コピー〉も存在するが、大富豪たちよりはるかに劣悪な環境に耐えなければならない。

 そんなとき、富豪たちの〈コピー〉に向かい、永遠の生を提供すると約束する男があらわれる。それは太陽系が消滅し、この宇宙そのものが崩壊してもなお生きのこることができる策だという。

 かれは詐欺師なのだろうか? ただ狂っているだけか? それとも、本当に真実を語っているのだろうか? この男が発見したあらたなる物理理論「塵理論」を軸に、永遠をめざす旅がはじまる――。

 いや、素晴らしかった。読む前からおもしろいことはわかっていたのだが、この展開は想像を絶している。また、文章的にも意外なほど読みやすく(もちろん、普通の娯楽小説を読むようなわけにはいかないが)、次つぎと立ちあらわれるめくるめくヴィジョンに圧倒される思いだった。

 塵理論は少しやっかいだが、『ディアスポラ』の難解さにくじけたひとでもこちらなら読み終えることはできると思う。少しばかりの労力を払う価値は十分にある作品である。この作品はあなたの人間と宇宙にかんする認識を想像力のハンマーで打ち砕く。

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

 まず第一部で活写される今世紀中葉の世界がいい。そこは仮想空間と〈コピー〉という超技術が現実のものとなった世界だ。この来たるべき世界をイーガンは実にリアリティゆたかに描き出す。

 かれはぼくらが考え付くあらゆることを先回りして考えつくしているように見える。その描写の緻密なこと。この時点でイーガンの想像力はほとんどのSF作家をはるか後方に置き去りにしている。

 しかし、かれはそこで立ち止まることなく、さらなる加速を開始する。並のSF作家のゴールはイーガンにとってはスタートに過ぎないのである。

 それでは、イーガンは最終的にどんな世界を描きだそうとしているのか? そこで前出の「塵理論」が絡んでくるのだが、これにかんしてはぜひ自分の目でたしかめてほしい。

 いや、ほんと、すごいんですって。ほとんど人間にはこれ以上想像することは不可能なのではないかと思われるくらい。ある意味で仮想空間SFはこの一作をもって終わってしまったのではないか、という気がする。

 おかげで、これ以前の仮想空間SFのほとんどは命脈を絶たれてしまった。柾悟郎に『ヴィーナス・シティ』という佳作がある。何かのアンケートで90年代日本SFの第3位にえらばれたほどの作品だが、『順列都市』と比べれば、その古さは歴然としている。

ヴィーナス・シティ (ハヤカワ文庫JA)

ヴィーナス・シティ (ハヤカワ文庫JA)

 さて、「塵理論」についてはこれ以上深入りできないので、この作品のもうひとつの軸について話をすることにしよう。イーガンお得意の人間観の揺さぶりである。

 仮想空間上に生存する〈コピー〉たちは純粋に情報的な存在である。したがって、かれらはぼくたちの考える「人間」とは異なる性質をもつ。自分の意志で好きなように人格を改変することができるのだ。

 かれらはまるでぼくらがゲームキャラクターのステータスをいじるように、自分の人格を調整する。

 有限の人間にとって永遠はあまりに長い時間だ。すぐに退屈するのではないか、とあなたは思われるかもしれない。人生の意味を見出せず苦悶することになるのでは?

 しかし、そんなときは自分の人格をその状況に適応させればいい。〈コピー〉たちはその気になれば一千年のあいだ机の脚を作りつづけることもできる。無限に高いビルを十万年も滑り降りつづけることもできる。

 人間の人格が永遠の長さに耐えられないならば、耐えられるよう改変すればいい! 当然、そのような改変はかれらをより人間離れしたものへ変えていく。しかし、そもそも「人間らしさ」とは何なのか?

 イーガンの小説を読むものが衝撃を受けるのはそこである。かれの作品のなかでは、ぼくらが何気なく常識だとかんがえていることが呆気なく崩れ去っていく。

 イーガンは「人間の生は有限だからこそ価値があるのだ」というような教訓を一顧だにしない。かれの精神にはタブーというものが存在しないかのようだ。そこにはまさに極上のセンス・オブ・ワンダーがある。

 人間の自由意志を巡る思考の冒険は、どこかで相田裕の〈GUNSLINGER GIRL〉と通底している。もしあるひとの人格を改変し、奴隷であることに喜びをかんじるよう調整したとしたらどうか? かれから奴隷のよろこびを奪うことは正しいことなのか?

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

 かれはいかなる意味でもそう「思い込まされている」のではない。本当に心の底からそうかんがえているのである。しかし、ふたたび人格を改変すればそんなよろこびは露と消えていく。人間の自由意志とは何なのか?

 また、飛浩隆の〈廃園の天使〉はまたべつの形でイーガンの掲げるテーマに迫っていく。そこには「コピー」ならぬ「情報的似姿」と、純粋なAI(人工知性)たちが登場する。

 人間の人格を模した「似姿」と、AIの差はどこにあるのか? かれらには人権が認められるべきか? 『グラン・ヴァカンス』、『ラギッド・ガール』の二冊はイーガンに匹敵する思索性と流麗な文章を兼ね備えた傑作である。

グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

 一方、最近の山本弘も、おそらくイーガンを多分に意識しながら、仮想空間SFに取り組んでいる。ある意味では『神は沈黙せず』もそういった作品だったが、『アラビアン・ナイト』形式の連作短篇『アイの物語』はより切実にイーガンに接近している。

神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

アイの物語

アイの物語

 山本はここで完全に論理的なAIたちによる楽園を構想する。ただ、そのユートピア世界はいかにも牧歌的である。

 人間とは異質な存在として立ち上がってくるべきAIたちも、たんなる「あたまがよくて理性的な人間」という次元にとどまっているようにぼくには思える。

 さて、もしこれらの作品に問題があるとすれば、作中の人物たちがあまりにも人間的でありすぎるところだろう。

 たしかに『順列都市』の「コピー」や、『ディアスポラ』の人工知性たちはあらゆる意味で人間からかけ離れた存在だ。『グラン・ヴァカンス』のAIもどこかに非人間的な個性をかくしもっている。しかし、それでもなおかれらが「私」という概念をもっていることには変わりない。

 〈廃園の天使〉でいう〈アイデンティティ境界〉、『攻殻機動隊』でいうところの〈ゴーストライン〉は保全されたままだ。個は個であり、そのほかの世界とはっきり区別することができる。われ思う、ゆえにわれあり。

 その意味で瀬名秀明の『デカルトの密室』は注目に値する。ここで描かれているのは、「私」であり同時に「かれ」でもあるようなネットワーク知性である。それはまさに真の意味で人間を超越した存在だ。ぼくたちの言語ではその内面を言語化することすらできない。

デカルトの密室

デカルトの密室

 あるいは、押井守監督の『イノセンス』に登場した(というか、登場しなかった)草薙素子もそのような存在であったのかもしれない。

イノセンス スタンダード版 [DVD]

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 彼女は超越者であるために画面には登場しない。自分であると同時にネット全体でもあるような超知性なのだ。素子は「解脱」したのである。

 その意味で、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の素子が「解脱」することなく、サイボーグではあるが人間的な人物として活躍していることは興味深い。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX The Laughing Man [DVD]

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 彼女は人間として最高級の能力をもってはいるが、それでもなお人間であることに変わりはない。ここに『イノセンス』と『STAND ALONE COMPLEX』の決定的落差を見ることができる。

 やがてひとはどのような存在へと進化していくことになるのだろうか……。仮想空間SFは「人間」という概念を揺さぶるスリリングな知的冒険にみちている。

 その旅をたのしみたいと望むひとは、とりあえず『順列都市』から読みはじめるといいと思う。いや、いや、ほんと、すごいんだって。ほかでは味わえない極限の興奮がここにはある。