あの掲示板が閉鎖した原因には、話の通じない荒らしまがいの粘着書き込みが多発していたということもあったことを指摘しておきたいです。山本氏の方針がそれを呼び込んだ、というのがこの記事の趣旨なのでしょうが。

 id:nisoku2さんのブックマークコメントより。

 たしかに、掲示板閉鎖のすべての責任を山本氏ひとりに負わせることはできないだろう。そういう風に読めたのだとしたらぼくの誤りである。謹んで訂正させていただく。

 まあ、いまとなっては該当掲示板のログを見ることもできないわけだし、だれに最大の責任があったかと問うことは水掛け論に終わると思う。

 それに、自分のサイトの掲示板を開こうが閉じようがそのひとのかってではある。その事実にかんしてだれかを責めるつもりはまったくない。ただ、あの掲示板をおもしろく読んでいた読者のひとりとして、その末路をざんねんに思うのである。

 昨日の記事の付記になるが、ぼくが山本氏を見ていて痛感させられるのは、自分とかれとの価値観の落差である。同じようにSF小説や、少年漫画や、テレビアニメを鑑賞していても、その捉え方がまったく違う。その違いたるや、大袈裟にいえば、センス・オブ・ワンダーを感じるほどだ。

 安易な世代論に落とし込むつもりはないが、そこにはぼくとかれの22歳という年齢の差が関係していることは間違いないだろう。ぼくから見ると、山本氏が既存の文化に線を引くその方法論は、非常にかたくなに見える。

 たとえば、かれは自分はアニメの主題歌以外の音楽を聴かない、と宣言する。もちろん、それそのものは本人のかってだ。

 しかしなぜアニソン? 厳密にいえばアニメソングという音楽ジャンルがあるわけではなく、ただいろいろな音楽がたまたまそこに分類されているだけではないか。なぜあえてそんな区分にこだわるのか?

 また、かれは「文学」と「SF」のあいだにも線を引き、自分は「文学」には興味がない、またSFファンは「文学」なんかに媚びるべきではない、と主張する。しかし、ぼくから見ると「文学」と「SF」の間にそこまで距離があるようには思えないのである。

 かれが何らかの社会的な権威や抑圧を想定して、それに対抗しようとこころみていることはわかる。つまり「ぼくはロリコンだ」などと主張することによって、世間とか常識を相手取ってたたかっているのだろう。孤独なレジスタンス。

 しかし、そうやって立ち向かっているあいては、本当に実在するのだろうか。過去には実在したとしても、いまとなってはむなしい蜃気楼に過ぎないのでは?

 山本さんが対抗意識を燃やす権威や抑圧といったものが、ぼくにはあまり実感が湧かない。ここら辺はたぶん、幼い頃から好きな作品を好きなように享受できた体験に拠っているのだろう。

 たぶん山本さんの時代には「ロリコン」とか「SFファン」を公言するにはいま以上のエネルギーが必要だったのだと思う。

 その努力を尊敬しないこともないが、ぼくから見ると、すべては過去の話に過ぎないように思われるのである。好きなものを好きなように楽しめばそれでいいじゃん。