「猫は勘定にいれません」山本弘さんについて取り上げているので、ぼくも便乗してちょっと書かせてもらおうと思います。

 過去に何度か書いていますが、ぼくにとって山本弘というひとはかなり思い入れのつよい作家です。たぶんぼくが生まれてはじめて読んだ本格的なSFは、山本さんの『サイバーナイト』なんじゃないかな。

 当時はSFなんて言葉もろくに知らないくらいですから、それはもう夢中になって読みました。いま思い返してみても、ゲーム理論やら現代物理学を駆使したスリリングな物語は素晴らしかったと思います。続編の出来は、まあ、あれだけれど。

 ぼくは乙一さんと同い年なんですが、かれが山本作品に思い入れるきもちは非常によくわかります。きっとかれも〈サーラの冒険〉のつづきをじりじり待った経験があるに違いない。かれが〈サーラの冒険〉第5巻に付けた惹句は、じつに絶妙でした。

 まあ、いま考えてみると、ライトノベルというかせをつけてあれだけディープなSFを書いていたということは、それだけで凄いことです。

 そういうわけで非常に好きな作家さんではあるのですが、その発言や行動には時々疑問を感じます。それが目立ったのが、現在は閉鎖されている「山本弘のSF秘密基地」掲示板。その内容は、たけさんがこう書いている通り。

山本さん自ら運営するこのサイトを見て、僕は目を疑いました。普通に掲示板(今はもう掲示板はありません)で一般人と交流をしている、いや、それだけではなく時には論争を戦わせてさえいる! プロの作家が、これほどまでに生の感情をむき出しにして、裸の自分をさらして良いものなのだろうか?

実際、山本さんの掲示板での活動は精力的などという言葉では表現しきれないものでした。自著の内容についての質問や批判に答えたり、他人の著作物についての論評を行ったり、掲示板の常連とけんか腰のやり取りをすることも少なくありませんでした。

 いやあ、じっさい凄かった。

 もちろん、掲示板やコメント欄を開放している作家さんはほかにもいますし、読者と活発に交流するひとも少なくないでしょう。しかし、この頃の山本弘ほど歯に衣着せぬ発言をくりかえした例はほとんど知りません(あ、二階堂さんがいるか)。

 そういった掲示板は横から見ているぶんにはおもしろいわけですが、当然、管理者には膨大な負担がかかることになります。山本さんの率直な発言は多大な反感を呼び、けっきょく掲示板は閉鎖に追い込まれて、山本さんはmixiへ去っていったのでした。残念無念。

 ぼくは結局、一度もその掲示板には書きこまずに終わったのですが、横から見ているだけでも「なんでこのひとはこう反感を呼ぶことがわかりきっている発言をくりかえすのだろう?」としみじみ考えざるをえませんでした。

 ふだんからぼくの日記を読んでいるひとは「お前にだけは言われたくねえよ」と思うかもしれません。まあ、たしかにぼくも反論を恐れて玉虫色の発言をすることが正しいとは思わない。

 ただ、ぼくと山本さんでは知名度が違う。かれほどの著名人が、他人の本やら小説やら漫画やらアニメやらゲームをリアルタイムで非難すれば、大きな反感を買うことは目に見えているわけです。

 だって、世の中には多様な価値観というものがあるわけで、山本さんの価値観で見れば駄作であろうと、その作品が好きなひとは確実にいるわけですから。あれほどあたまのいいひとが、なぜそのリスクを見過ごしてしまうのか? 正直、ふしぎでした。

 作品を批判するにしても、「ぼくは駄目だと思うけれど、好きなひともいるよね」くらいの書き方をしていればそれほど問題は生じないだろうに、皮肉たっぷりにこき下ろすんだもんなあ。ま、ひとのことはいえないけどさ。

 山本さんが駄作(と、かれが考えている作品)を攻撃するときの態度は、「と学会」関連の本でトンデモ本を笑い飛ばすときと変わりありません。

 たぶん、かれにとってはトンデモ本もトンデモ作品も似たような位置づけにあるものなのでしょう。自分の好きな作品をそんなふうに扱われたら、それは怒るひとも出て来ようというものです。

 ただ、まあ、長年の山本ウォッチャーとしてはその態度も理解できないこともありません。かれは長い時間をかけて磨きぬいた鑑定眼にそれなりの自負を抱いているのでしょう。じっさい、それだけの知識と識見があることは間違いない。

 ただ、かれがどれほど卓見だとしても、どうしたって異なる意見というものは出て来るわけで、ぼくなどはもうちょっとそこら辺に配慮すればいいのにな、と思ったりしたものでした。余計なお世話ですが。

 どういえばいいのだろう。このひとはSFとか漫画とかアニメを論ずるにあたって、ひとつの物差しさえあれば足りると考えているのではないか、と思わせられるところがある。これは掲示板のやりとりだけではなく、SFにかんする著書を読んでもそう思います。

トンデモ本?違う、SFだ!

トンデモ本?違う、SFだ!

トンデモ本?違う、SFだ!RETURNS

トンデモ本?違う、SFだ!RETURNS

 あるいは、山本さんが若かった頃はそのものさしひとつで足りたのかもしれません。その頃は「アニメファン」とか「SFファン」といったものの数も少なく、ある程度、価値観と仲間意識を共有できるものだったのかも。

 ただ、価値観が多様化した現代ではそれではうまくいかないだろうし、現実にかれの掲示板はトラブル続出で閉鎖してしまったわけです。

 ぼくはフィクションでもノンフィクションでも一貫して人間の非論理性を糾弾する山本さんの姿勢から、「論理的に考えれば同じ結論に至るはずだ」という信念を感じます(このページなどを参照のこと)。

 想像に想像を重ねることになりますが、たぶん、山本さんは掲示板でトラブルが生じたとき、そこから敷衍して「同じ結論に至らない以上、こいつは論理的思考ができない奴だ」と考えていたのではないでしょうか。

 そういう意味では、返すがえすも京アニ版の『AIR』や『Kanon』が放映される前に掲示板が閉じられてしまったことは惜しいと思います。

 ああいう一般的な作劇術では語りきれない作品に対して山本さんがどのように評価を下したか、興味があります。たぶん「作画は綺麗だけれど話は駄目」というところに落ち着いたんじゃないかと思うんだけど。

 昨日引用した竹熊さんの「オタク顕教密教」という区分でいうなら、山本さんは完全に顕教の側なのだと思います。かれにどんな欠点があるとしても、率直であることは疑えない。だからこそクリエイターになることができたのでしょう。

 そしておどろくべきことに、その作風の根本にあるものは、きわめて素朴なヒューマニズムです。山本さんの小説はどれも最後はだいたいそこらへんに落とされる。愛とか命とか正義とか平和とかの価値を、どうもこのひとは心から信じているらしい。

 あれだけの知性と読書量をもったひとが、ここまでナイーヴなヒューマニズムを抱きつづけることができるということが、ぼくにはちょっと信じられない気がします。

 その意味では笠井潔が『神は沈黙せず』を評して「現代SFの水準ではない」という意味のことを語っていたこともわかるし、『アイの物語』の朴訥な結末にはちょっとついていけないものを感じたりもします。ふつうもうちょっとシニカルになるよな。

神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(上) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

神は沈黙せず(下) (角川文庫)

アイの物語

アイの物語

 かれの存在そのものが、ぼくにとってはワンダーですね。