時間のかかる彫刻 (創元SF文庫)

時間のかかる彫刻 (創元SF文庫)

「そして、代価を払ったのよ」どならんばかりの言いかただった。「銀行には何百万ものお金があるし、あなたが指をはじいただけでひざまずこうとしてる人たちが何千といる。何と言う代価でしょうね。愛が手にはいったかもしれないのに」

 シオドア・スタージョンは20世紀SFを代表する天才作家である。

 その文章力、発想力、感受性、構成力、ユーモア、そして人間性に対する並々ならぬ洞察力において、ほとんど比類がない作家。

 サミュエル・R・ディレイニーはかれを称して「アメリカ文学史上最高の短篇作家」と呼んだ。ぼくはそこまで断言することはできないが、少なくともぼくの知る限り最大最高の短編作家であることは間違いない。

 スタージョンはたしかにSFを書き、ミステリを書き、恋愛小説を書いたが、本質的にはそういった細かいジャンル区分を超越した作家だった。

 かれの書く小説はいつも愛と孤独、瑕と癒しの物語であり、つよい普遍性を備えていたのである。

 しかし、生前、その天才にふさわしい栄光に包まれることは遂になかった。一部の読者のあいだでカルト的な人気を博しながらも、一般受けしなかったところはフィリップ・K・ディックに似ているかもしれない。

 あまりにも早すぎる作家だった。その証拠に、発表から10年、20年、50年と時が過ぎても、スタージョンの作品は少しも古びない。

 それどころか、没後数十年を経たいま、その作品は現代に対する深い洞察を示しているように思えるのである。

 そのスタージョンにとって、もし受賞をひとつの基準と見るとすれば、最大の成功作となったのがこの本の表題作「時間のかかる彫刻」。

 アメリカSF界を代表する賞であるヒューゴー賞とネヴュラ賞を独占した恋愛SFの傑作である。

 孤独な天才科学者と難病に冒された女の心のふれあいを描くところまでは普通なのだが、なぜかそこに盆栽が絡んでくるところがスタージョン流。結末は切々と胸に迫る。

 一方、「茶色の靴」は「時間のかかる彫刻」と裏表の関係にある作品で、世界を変える発明を生み出した天才発明家の苦悩を描いている。すべてを得て、そして愛を失った男の物語。

 この両作品をふくめほとんどの収録作は70年代に書かれたものだが、巻頭作「ここに、そしてイーゼルに」は50年代全盛期スタージョンの凄みを存分に思い知らせてれる。

 絵をかけなくなった天才画家と邪悪な魔法使いに閉じ込められた騎士という全く無関係なふたつのプロットを超絶技巧で融合させた実験的作品だ。

 実験作といっても、スタージョンの場合、少しも無骨なところはな。その筆致はあくまでも美しく、どこまでも華麗。空を翔けるような文体で現実と空想を往来し、あざやかに着地する。

 小説を読むとき、文章そのものの美しさに惑溺するタイプの読者にとってこれ以上の作品はないだろう。

 また、「フレミス伯父さん」、「〈ない〉のだった―本当だ!」のような純然たる法螺話もたのしい。絶対にありえない展開を読ませてしまう文章的説得力がすごい。

 たしかに全盛期の「一角獣、多角獣」あたりと比べれば一歩譲るかもしれないが、単独で見れば十分に素晴らしい高品質の短編集であった。絶品、絶品。