Kanon 1 [DVD]

Kanon 1 [DVD]

京都アニメーションKanonを一気に鑑賞。

やっぱ京アニ作画がすごいよー、と手放しで褒めるのもありなのかもしれないけど、正直言うとこの淡々と流れていく話には異を唱えたい。

26話構成を考えたうえでの、原作全ルートを効率よく消化するための起承転結なのかとも見て取れるんだけど、さすがに7話までを見ると純粋なエンタメ作品としては楽しめるのかどうか。

確かにこの作品、全体を俯瞰すれば物語曲線は上手く生成されているのかもしれない(とは言えまだ分からないけど)。

しかしながら1話の曲線、もしくは3話前後つづり程の固まりの曲線が作られていない。

とにかくひたすら伏線を張ることに必死で、見せ場という見せ場、山場という山場が一切無いまま、7話まで来てしまった。はじめてここで少しだけ物語が動き出したと感じたわけで。あくまで少しだけ。

 「青ひげノート」より。

 うっかり口をはさむと大炎上しそうな話題ではあるが、かるく触れておこう。たしかにぼくも淡々と展開していると感じたけれど、特に問題だとは思わない。

 「Kanon」は、全24話放映予定の作品である。現在放映済みの第8話までで3分の1を消化した計算になる。

 それにもかかわらず、この時点では物語的には(表面的には)ほとんど何も起こっていない。その意味で、「見せ場という見せ場、山場という山場が一切無い」ということはできるだろう。

 しかし、それをいうなら「あずまんが大王」や「苺ましまろ」あたりは最初から最後まで何も起こらず終わってしまうわけで、「だから悪い」とはいえないはずだ。

 映像娯楽作品にとって、必ずしも物語的波乱万丈は必要ないのである。総体的に見て一個の映像作品として魅力的であればそれで足りる。

 とはいえ、もちろん、だから物語は重要でないということにはならない。物語は重要である。しかし、この場合、物語のアウトラインは既に原作によって定められてしまっているので、あまりいじりようがない(原作とは別物にまで改変するつもりならべつだが)。

 あとはそれを料理する脚本の出来次第ということになる。その意味で「Kanon」の脚本は非常によくできている。

 アニメスタッフは非常に丁寧に原作を脚色し、一本の映像作品として構成しなおしている。予告編ひとつとっても、一種のダブル・ミーニングとなっていて、その後の展開を知るものと知らないものとではべつのものが見えるよう仕組まれている。

 たしかに京アニお得意の「原作に忠実な映像化」ではある。ただ、本当はゲームとアニメでは表現の質が異なるため、原作の物語をそのまま移植するということはできないのだ。

 「原作に忠実」とは、さまざまな映像的脚本的手管によって「原作に忠実であるかのように見せている」さまをいうのである。

 京都アニメーション製作作品のおもしろいところは、原作を丁寧に解体し再構築しながらも、その限界を逸脱しないところだ。

 「Kanon」の物語にはいくつもの無理と矛盾がある。しかし、その無理は矛盾は恐らくは意図的に修正されることなく放置される。

 細部の描写がどこまでも丁寧に語りなおされる一方で、最も大きな無理はそのままのこされている。あたかも熟練の絵画修復工があえて剥落をのこしたまま仕事を終えるように。

 したがって、あらたに生まれた作品がどれほど上質であろうと、原作の限界を乗り越えることはできない。

 「物語」と「脚本」は同一の概念ではない。脚本家がいかに巧みに物語を語りなおそうが、その物語が本来そなえているキャパシティを超えることはできないのである。

 京都アニメーションにとって出世作となった「涼宮ハルヒの憂鬱」にしてもそうだ。アニメスタッフはその物語を一本のアニメーションとして最良のものとするため、ありとあらゆる工夫を凝らしただろう。

 しかし、しょせん「ハルヒ」は「ハルヒ」。どれほど巧みに細部をいじろうが、原作の筋立ての凡庸さを変えることはできない。ただ、そのキャパシティを最大限に発揮させることができるだけだ。

 アニメスタッフがその仕事を最高の効率でやってのけたとしても、だから急に物語がおもしろくなるというものでは――はっ。え、えーと、そういうことをこのあいだid:kim-peaceさんが言っていたよ。困ったひとだね。

 というわけで、京アニファンとか「ハルヒ」ファンのひとは文句があったらかれのはてなに書くように。ぼくは関係ないから。じゃ。