涼宮ハルヒは電波な発言を連発し、自己中で、SOS団以外に友だちがいない。長門有希は無口で根暗、本の虫、友だちといえばパソ研のオタクたちだけ。どちらのヒロインも実際にいたらお付き合いしたくないタイプのキャラクターです。

もしも三人娘が実在していたら、人気の順は「みくる>>>超えられない壁>>>ハルヒ長門」ではないかと思うのです。しかし実際のところ、ハルヒファンの中での人気は「長門ハルヒ>>>超えられない壁>>>みくる」なわけですね(当社調べ)。

興味深いエントリです。リアルにいたら関わりたくないようなキャラが萌えの対象になるのは「自信のない自分を受け入れてくれる可能性が高そうだと妄想できるから・・」だと推察します。みくるみたいな美少女がいたら、もう周りの男のアプローチが凄いのは確実でしょうから、非モテオタクは最初から負けているわけです。

 違うと思います。

 まず、第一に、フィクションのなかに登場する、もし現実にいたら近づきたくないような人物に魅力を感じることは、オタクがどうこういう以前にふつうのことです。

 「羊たちの沈黙」のレクター博士なんて、現実にいたら絶対に近づきたくないけれど*1、フィクションのキャラクターとしては魅力的ですよね。

 むしろ、フィクションのなかでさえ、現実に友達になりたいような人物にしか好意をもてないとしたら、そちらのほうが少数派でしょう。

 第二に、「現実」と「フィクション」を比べる際に、そもそもの前提条件が異なってしまっているように思います。

 「もしハルヒ長門が現実にいたら」とかんがえるとき、「どちらのヒロインも実際にいたらお付き合いしたくないタイプのキャラクターです」とあるように、遠くから表面的個性を眺めた場合を想定しています。

 しかし、読者として、あるいは視聴者として物語を眺めるぼくらは、必ずしもハルヒ長門のそういった表面的個性だけに萌えているわけではありません(でしょ?)。

 なんといっても、ぼくらは、キョンの視点を通して、ハルヒが実は自分の価値を信じきれない孤独を抱えた少女であることを知っています。

 あるいはまた、非人間的なほど無表情に見える長門が、時折りその仮面の隙間から優しさを垣間見せることを知っています。

 知ったうえで、はじめてそのキャラクターを好きになっているわけです。

 「ハルヒってば友達少なそう。こいつなら簡単に落とせるかも。萌え」とか、「長門って暗いよな。おれでもあいてにしてもらえるかも。萌え」と思っているわけではない(でしょ?)。

 ハルヒ長門に対してみくるが人気で劣るとしたら、それは単純にキャラクターの書き込みの差ではないでしょうか。

 ぼくは原作をあまり読んでいないので、原作のことはなんともいえませんが、とりあえずアニメにおいては、あきらかにみくるに対しては突っ込みが不足しているように思われます。

 アニメにおけるみくるは、最初から最後まであわあわさわいでいるだけのキャラクターと言ってもいいんじゃないかと思う。

 まあ、その点は未来からやってきた大人みくるとのギャップが補完しているともいえますが、ハルヒ長門と比べると、それでもまだちょっと弱い。

 そうかんがえると、べつに彼女が人気の面で一歩譲ることはふしぎでもないような気がします(じっさいの人気はよくわかりませんが)。

 むしろここからわかるのは、キャラクターの人気は単に表面的個性だけで決まってくるわけではない、ただおっぱい大きくして、男に都合の良い性格にすれば受けると決まったものでもない、ということではないでしょうか。

 オタク的記号で分類するなら、ハルヒツンデレで、長門はクーデレということになるわけですが、じゃあ、そのパターンを守ったなら自在に人気を操れるのかといえば、そんなはずはない。

 アニメスタッフがじっさいにやってのけたような、繊細な人格描写が必要になってくるわけです。

 ただ、もちろん彼女たちの個性を単純に近代小説の人物と比較するわけにもいかない。あきらかに非現実的な記号的個性の生み出す魅力というものも存在するわけですから。

 ここらへんのことは、いま読んでいる(何冊並行して読んでいるんだか)「探偵小説と記号的人物」にかかわってくることなので、いつかまた書くかもしれません。

 とりあえず、非モテがどうとかとは関係のない話だと思っています。

*1:もちろん、食われるから。