少女七竈と七人の可愛そうな大人

少女七竈と七人の可愛そうな大人

「美しい人は、都会に向いている、と、そんな気がね。つまり変わっている生きものは。頭がよすぎるものも、悪すぎるものも。慧眼がありすぎるものも、愚かすぎるものも。性質が異質で共同体には向かない生まれのものは、ぜんぶ、ぜんぶ、都会にまぎれてしまえばいい、と思っていてね。ははは」
「都会に、ほんとうにまぎれますか」

 ああ、おもしろかった。しばらくまえに出た桜庭一樹の新刊である。

 この作家は、いつも、自分の実力をためすかのように、まるで趣向も文体も違う作品を書くのだが、今回は古めかしくもつややかな言葉遣いで、美貌の少女七竈の物語を綴っている。

 いなか町に似合わぬいんらんの母から生まれたために異形の如き美貌になったと信じる彼女にとって、同志はただひとり、同じ美貌の少年雪風のみ。七竈はしばしば、雪風とふたり、鉄道模型で遊ぶ。

 しかし、そんな他愛ない日々のなかでも、時折、七竈の心には痛切な疑念がきざすことがあった。雪風は、本当は、じぶんの兄なのではないか、と。

 つまり、まあ、そういう小説である。じつに美しい作品だが、七竈がそうであるように、余りに美しすぎるものは異形と化す。

 この小説の場合、過度に古風な文体はパロディと成り果てて、ほのかなユーモアをただよわせている。この、どこかくすくすと笑っているような感じ、自分自身を笑い飛ばしているような感触が、桜庭一樹の最大の個性だと思う。

 なにしろ、唐突に犬の一人称がはさまれたりするのだ。いったい何処からこんなアイディアをひねり出してくるのだろうね。

 ある意味では余裕のあらわれとも取れるし、ただの天然、と見ることもできる。こういった天恵、あるいは宿命に囚われたひとこそ、作家になるのにふさわしいのだろう。

 桜庭のほかの作品以上に、恐ろしく読むひとを選ぶ小説ではある。しかし、それでよいのだ。ひとを選ぶことなく、ひとに選ばれてばかりの小説など、さしておもしろいものもないだろうから。