奇跡的傑作。

 ああ人間には理智がある。如何なる時にも尚いくらかの抑制や抵抗は影をとどめているのだ。その影ほどの理智も抑制も抵抗もないということが、これほどあさましいものだとは!
 

――坂口安吾「白痴」

 先日、白痴的美少女が多数登場することで高名なアニメエション「Kanon」を鑑賞した。

 この作品はこれが二度目の映像化にあたる。然し、その一度目については、何故か記憶が曖昧である。何か「うぐぅ」と呻く生き物が、画面狭しと駆け回っていたということのほかは、どういう訳かとんと思い出せぬ。

 そこで、この度は二つの作品を仔細に比較検討するという線は諦め、二度目の映像化に絞って語ることにしたいと思う。嗚呼、然し、其れにしても、何という作品であることか! この映像の美よ! 音曲の哀切よ!

 思えば、僕がこの作品の原作に出逢ったのは、凡そ六、七年も前のことになる。其れからの長の年月のなかで、次第に色褪せ、記憶の泥濘の底に沈んでいったイメエジが、懐かしい音曲とともに、鮮やかに蘇って来るかのようであった。まさに期待に違わぬ、否、期待を上回る仕上がりという他はない。

 真に愕くべきは、原作に於ては単に知能の低い生き物という次元に留まっていた月宮あゆなる一少女が、人間の輪郭を備えて浮かび上がってきたことである。

 勿論、己の背中の羽根を見んとして回転する少女を、白痴と見て嘲弄することは容易かろう。然し、そこを敢えて抑え、「萌え〜」なる意味不明のひと言と供に、回転する少女のみが醸し出す異色の美を鑑賞することこそ、鍵っ子の王道かと思うが、如何。

 又、この第一話に於て、既に五人のヒロインが勢揃いしているということも、嬉しい愕きであった。原作を未体験の視聴者のなかには、一体何処に出てきたのか、と戸惑われる向きもあろう。然し、五人の少女は五人とも然るべき形で既に物語への登場を果たしているのである。

 そして、名雪のブラジャアの艶かしいことよ(意外と胸あるんだよね、この子)。あゆの行動のいとおしさよ(阿呆の子だ、阿呆の子がいるぞ)。舞の可愛げなことよ(出番少ないけど)。しおりんの伏線の巧みさよ(ただ横を通り過ぎるだけだけど)。真琴の扱いの酷さよ(人間ですらねえ)。

 また、北川少年の面に、某「CLANNAD」の一キャラクタアの面影を見た者は少なくあるまい。おそらく製作陣のなかには、「CLANNAD」をプレエしたした人間が混じっているに違いない(ていうか、重度の鍵っ子が混ざっていると思う。いや、ほんとに)。

 何れにしろ、此処までの物を見せられては、只感嘆する他にない。正しく、秀抜にして満足の出来である。此の水準の作品が二十四話も続くのかと思うと、其れだけで激しい幸福を感じる。嗚呼、この時代に生まれし我が身の嬉しさ。巧く第二話も見られると良いのだが。

 どうでもいいけど、これじゃただ漢字を増やして読みにくくしただけだな……。