日記を書いていてたまに思うんだけれど、ぼくはあきらかに平均より読者が好きな人間であるわけで、そのぼくが読んでおもしろかったからといって、平均的な読者がおもしろがると見なすことはできないんだよね。

 ぼくのような活字中毒の人間は、それが活字であれば大抵のものは楽しんで読める。だから、案外、その批評眼はあてにならないかもしれない。

 活字中毒というものは、活字を読むことによって生じる知的な興奮を楽しんでいると誤解しているひともいるだろう。違うのである。本当の活字中毒は、それが活字ならなんでも読むのだ。

 したがって、ほかに読むものがなければ、知性のかけらもないような本も読む。ここから敷衍すると、たくさん本を読んでいたって必ずしも立派なひととは限らないことがわかるだろう。

 特にぼくの場合は、けものがひたすら目の前のえさを食んでいるようなもので、内容を把握しているかどうかすら怪しいことがある。読むことそのものの快楽に酔ってしまっているのだ。

 以前にも書いたが、ぼくは二流の作品をわりと平気でおもしろがれる男である。たぶん読む本を精選すればもっと読書水準を上げることはできると思うが、あまりそうする気にはなれない。読めさえすればなんでもいいのかもしれない。

 こういう性格と活字中毒があわさると、かなり趣味の良くない読書人が生まれる。というわけで、いろいろな意味でぼくの書評はあてにならないという結論が出るのであった。