ここで自分のことを話させてもらうなら、客観的に見て、ぼくは、読書関係のことならば、全体の上位5%には入るくらい「濃い」人間だと思います。あるいは、上位1%にも入るかもしれない。

 では、これは、ぼくが優れた人間だという証拠になるでしょうか。ぼくは、べつにそうは思いません。それは、たんにぼくの人格の偏向具合を示しているに過ぎない。

 ぼくという人間は、たまたま、読書関連の方向に知識が片寄っているのです。そしてぼくだって、ほかのジャンルにかんしては、「薄い」ことがいくらでもある。

 だれだってそうでしょう。いまどき、あらゆる分野にかんして該博な知識を誇る百科事典的論者なんてものが想像しづらい以上、これはあたりまえのことじゃないでしょうか。

 そして、じゃあ、その分野にかんして「薄い」人間は、「濃い」人間を前にすれば、肩身の狭い思いをしなければならないのかというと、そんなことはない、と思うわけです。

 岡野さんは、

 こう書くと「じゃあ、ライト層はオタクより格下なのか?!」という反応があるかも知れませんが、簡潔に書けば「その通り」です。(ミもフタも無さ過ぎですかね。)

 格下という言葉が適切かどうかはわかりません。前回も書いたとおり視点が全くクロスしていませんし、「分けちゃった方が双方幸せ」だと書いたように「ある意味別物」だと思っていますから。

 でも、“能力”的に下であることは確かです。

 「新しい能力」「昔のオタクと別の能力」ではないんですよ。

 明らかに「ライト層はオタクよりも能力的に劣っている」。

 と書いています。でも、ぼくは能力と言うよりやる気の問題なんじゃないかと思います。その趣味を本気で極めたいと思っているか、それともただちょっと楽しければそれでいいのか、という差ですね。

 で、後者が前者に劣っている存在かというと、べつにそんなこともないと思う。趣味は趣味ですから、べつに全力で遊ばなくても、だれに咎められるいわれもないんじゃないでしょうか。

 「趣味にもかならず全力を出すべき!」とかんがえる根拠がぼくにはわからないし、また、そうしない人間が見下されなければならない理由も思い当たらない。

 これが受験勉強かなにかなら、成績が下のひとほど「能力が下」とはっきりいえるかもしれません。でも、趣味として、たとえばパソコンでオンラインシミュレーションゲームをプレイしているひとには、熱意があるひともいればいないひともいますよね。

 で、熱意がないからといってだれかに責められるべきかというと、そんなこともないわけで。「オタクなんだから道を極めるべき」みたいな考えかたは、正直にいえば、ぼくにはよくわからないです。

 わからないということが、すなわち、不勉強なライトオタクに過ぎないということを意味しているのかもしれませんけどね。