さて、これはいっていおかなければならないことですが、公正に見て、岡野さんの危機感は根拠がないものではないとはいえると思います。

 たしかに、10年前に比べて、「薄い」オタクは増えただろうし、萌え萌えいっているだけでなにも考えていない奴らもいるかもしれない。ここまではぼくも岡野論に共感できる。

 落差が生じるのはそれを「危機」と認識するかどうか、という点だと思います。ぼくはべつにオタクだからって「濃く」なくてもいいじゃん、と思うんですね。

 「濃く」なければオタクじゃない、というのなら、べつにオタクじゃなくてもいいや、とも思う。たしかにディープにひとつの道を極めたひとは偉いかもしれない。でも、べつに全員がそうしなければならないわけでもないんじゃないの、と考えるわけです。

 二階堂さんの場合、プロフェッショナルな評論家をあいてに、「勉強しろ」と言っているわけで、それはそれで理解できないことはない。

 しかし、ここではとにかく広く「ライトオタク」一般が不勉強だと批判されています。

 その「ライトオタク」のなかには、なんとなくアニメが好きで、「涼宮ハルヒ」は毎週見ていたけれど、コミケまで行くのはちょっと、というひともいるでしょう。

 また、こどもの頃から漫画を読むのは好きで、「電撃大王」は毎月買っているけれど、オタク呼ばわりされるのは嫌だな、というひともいるはずです。

 「ライトオタク」とは、そういう趣味のひとつとしてオタク文化を享受している層をまとめて総称した呼称です。

 ぼくはそういうひとたちが、オタク道を極めようという意思なしに、手軽にオタク文化を消費していったとしても、べつになにも悪いことはないと思う。

 岡野さんは、

 「オタクなんて趣味だから、全部遊びじゃないか」で、そこに真剣さを持ち込むって考えがない人ってのは、結局オタクでもなんでもないんですよ。

 本気で趣味も出来ない人です。

 といいます。

 でも、べつに本気にならなくてもいいと思うんですけどね。趣味なんだから。おもしろそうだから、ちょっと手軽につまんでみたい、というひとがいても問題ない。

 もちろん、そういうひとがオタクを代表しているような顔をしていたら、それは問題かもしれない。

 でも、ある程度、市場が拡大したところで、岡野さんのいうライト層が出てくることはしかたないことだし、それを否定しても始まらないと思うのです。

 ぼくが思うに、ある集団の裾野が広がれば、そのなかに「薄い」人間が増えてくることは、必然的なことなのではないでしょうか。

 ミスチルのコンサートに集まる観衆が、全員が全員、「濃い」音楽ファンだなどということはありえない。そしてまた、その何万というオーディエンスのなかには、ばかなことを言う者も、愚かな行動をとるものもいるかもしれない。

 しかし、それは統計的にどうしようもないことなのであって、それを取り上げて、最近は音楽ファンのレベルも落ちた、などと嘆いてみせても、始まらないと思うのです。