これにあるとおり、質問を出した時点では、探偵小説研究会が何らかの改善的方向性を示したならば、私は協力を惜しまないという方針であった。しかし、この提案は、探偵小説研究会によって無回答という形で拒否されている。つまり、探偵小説研究会の方では、私を含めて本格系作家の協力はいっさい要らないと表明したのである(注1)。

――「恒星日誌」*1

 いや、それは本格系作家の協力がいらないといっているんじゃなくて、たんにあなた個人の協力がいらないと(以下略)。どうして二階堂さんは自分と本格作家をイコールで結んでしまうのでしょうか。わたし、気になります

 どうでもいいですが、「黄色はいらない子*2とか、さかしらに述べている連中はみんなタマゴサンド食べ過ぎて死ねばいいと思うよ。東鳩2は黄色とるーこでもっているのに。

 ――えーと、なんの話だっけ? まあ、二階堂さんのいっていることを要約すると、「探偵小説研究会なんて笠井潔がいるからこそ信用してもらっているのであって、笠井が抜けたらだれも信用するわけないだろ」ということになると思います。

 辞書をひいてしらべてみたところ、日本語ではこういう態度のことを「喧嘩を売っている」と表現するそうです。交渉決裂。ひとりのヲチャーとしてもつまらない展開になってしまって大変ざんねんです。

 それにしても、今回の二階堂さんの態度には、なにかというと下の世代をばかにしたりする上の世代のオタクと通じるものがあるように思います。

 つまり、かれが「最近のミステリ評論家は全然だめ。もっと勉強しろ」というその傲慢さは、世代が上のオタクが「萌えしかいわない最近のオタクは全然だめ。むかしはよかった。みんな教養があってレベル高かった」とかいいだしてしまう心理と似ているんじゃないかと。

 自分にとって好ましくない作品を他者が高い評価を下しているとき、大別してふたつの対応が考えられると思います。

 そこにはなにか自分の知らない価値観があるのかもしれないと想像を巡らせてみるか、それともあいつらはばかだからあんなもので騒いでいるだけだ、と偏狭に捉えてしまうか。

 そして自分がそのジャンルに対して「濃い」マニア、オタクである、と信じているひとほど、後者を選びがちになる気がする。なにかあたらしい価値観がそこに芽生えているのかもしれない、と考えるには、積み上げてきた教養が邪魔をするんですね。

 そのジャンルについてこんなによく勉強してわかっている自分がまちがえるはずがない、と考えてしまう。そして「自分とは異なる価値観」というものが認められなくなっていく。

 そのうえで上から見下すような物言いをして、新興勢力から嫌われることになったりする。これはジャンルを問わないオタクの病理だと思う。知れば知るほど、知ったことにとらわれてあたまが固くなっていくということがありえるのです。

 もちろん、ひとごととして笑えるはずもありません。ぼくも気をつける必要があるでしょう。おお、こわ。

*1:いいかげんめんどくさいのでリンクはやめておきます。過去の日記から飛べるし、いいでしょ。

*2:To Heart2」のヒロインキャラクター、笹森花梨を揶揄した表現。たしかに花梨のシナリオは非常に弱いが、なまじ物語をやって失敗しているいいんちょあたりよりもましだと思う。