澁澤龍彦との日々

澁澤龍彦との日々

 澁澤はコレクターではありませんでしたが、彼の好きなものは、絵や彫刻、人形や本、また貝殻や石や木の実のようなガラクタに至るまでどれも、彼のもとに魔法のようい集まってくるのでした。実際、美しいものを見る彼の目は純粋で、きれいな貝殻と何カラットもあるダイヤモンドを並べたとしても、迷わず貝殻のほうを取ってしまうような人でした。

 いや、この本はおもしろかった。故澁澤龍彦夫人の龍子氏による澁澤との結婚生活回想録である。

 澁澤龍彦といえば、いまとなってはほぼ歴史上の人物であり、それどころか伝説上の人物ですらあるわけで、我々一読者からはその生身の姿は見えにくい。だが、さすがに夫人の筆からは飾らない普段着の澁澤が伺える。

 あるいは、このような告白録を、生涯ダンディズムを気取った澁澤の遺志を裏切るものと捉える向きもあるかもしれない。

 いまさら故人の日常生活をあばきたてることは、絢爛華麗な澁澤文学に染みを付けることにつながるのではないか、と。

 しかし、ぼくはそうは思わない。なるほど、澁澤本人は私生活をそのままに晒すことを嫌ったかもしれないが、それはかれ個人の美学である。

 龍子氏にとって澁澤は偉大な作家であると同時にひとりの生身の男性であるに過ぎない。彼女がそのかれを懐かしむことをだれも止められはしないだろう。

 なにより、彼女の目から見た澁澤はあまりにも魅力的な人物だ。澁澤家で飼われていた兎が本をかじるのを見て、「お前もボードレールが好きか」と喜んだ、といったエピソードは、「あの澁澤が」という色眼鏡を外して考えてもやはり微笑ましい。

 たしかにそれは巷間に広まったかれのダンディなイメージとは異なっているかもしれない。

 だが、ぼくは、頽廃と芸術を愛し、十年かけてサド裁判をたたかいぬいた大文学者の澁澤と、この回想録のなかの、方向音痴で、運動音痴で、生活能力に乏しいこどものような澁澤とはなんら矛盾しないように思うのだ。

 どんな文学者も、芸術家も、人間であるかぎり、かならず日常と生活を抱えている。それはかれの芸術から想起されるものそのままとはいかないかもしれない。

 しかし、だからといってかれの芸術が真実でないということにはならない。ひとはどんな平凡な暮らしのなかでも空想の華を咲かせることができるものなのだから。

 いや、まあ、たしかに、埴谷雄高から「ふたり龍がそろうと(中日)ドラゴンズですね」と書かれた手紙が届いた、なんて話を読むと、ちょっとイメージが崩れるなあと思ってしまいまうけどね。

 また、三島由紀夫中井英夫をはじめとする澁澤の友人たちの話も愉しい。この本を読んでいると、なぜ澁澤のまわりにこれほど多士済済な顔ぶれが集まってきたかわかるような気がする。澁澤が天才だったからというだけではないだろう。その人柄の純粋さがひとを惹きつけるのだ。

 隅々まで亡き夫への愛情があふれた実によい本だと思う。