萌えカルチャーと教養主義 その1 教養主義の衰退


 きょう、ペトロニウスさんのサイトでこんな記事を見かけた。

いつも思うのだが、ネギま野関連のブログを読んでいると、いろいろなFFがしたいとか、「つよきす」とかマンガの話が出てくる。

が、なぜ、トルストイを読んだ!とか、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を読んだ!とか(どちらも作中に出てくる本)とか言う意見も、読んで見たいな、という意見がまったくない。せめて児童書の名作『トムは真夜中の庭に』や、エヴァが好きだから、吸血鬼のことが知りたくてブラムストーカーやイシュトバーン王の伝説を調べるとかしてもいい。

(中略)

昨今のヲタクカルチャーや萌え文化には、オリジナリティー追求と古典への回帰意欲が弱すぎる。

 オタク文化に見る教養主義の衰退、といった話題ですね。さて、これはなかなかむずかしい問題で、また語りはじめると長くなりそうだけれど、できるだけかんたんにふれてみることにしましょう。

 まず、「ネギま!」から「アンナ・カレーニナ」にたどり着くひとはたしかに少ないだろうな、とぼくも思います。

 こういった作中のリンクから別作品へ飛んでいく読みかたは読書の醍醐味ではありますが、「ネギま!」からトルストイでは距離がありすぎる。まあよほど熱心な読者なら読まないこともないでしょうが、何万人に一人という割合じゃないかな。

 ただ、これはもちろん「ネギま!」読者だけの問題ではない。教養の価値の下落という問題だと見るべきでしょう。

 このあいだのマンガ学会大会で「コミックZERO-SUM」の編集者さんが話していたんだけれど、いま新撰組ものの新連載を企画しているある作家さんがいる、と。ところが、彼女は新撰組の作品をかこうというのに「燃えよ剣」などの先行作品をまるで読んでいない、と。

 それではなぜ新撰組ものをかこうなどと思い立ったかといえば、昨年の大河ドラマをみて新撰組ファンになった、という話なんですね。素人考えにもおいおいちょっと待てよ、といいたくなるわけですが、これなども教養主義衰退の一側面といえるでしょう。

 このような話を聞くと、まったく最近の若者ときては嘆かわしい、といいたくなるきもちもわからないでもない。ペトロニウスさんも引用している岡田斗司夫さんの「オタクは死んだ」という発言もここらへんの事情を背景にしているのだと思う。

 しかし、本当にただそういいきっていいものなのか。背景にはもう少し深い事情があるのではないか。

 まず留意しなければならないことは、いまの日本で生きるということが、かつてないほど膨大な情報を処理しながら暮らすということを意味するということです。

 インターネットとケータイを手に入れたぼくらは、いまや中世の農民が一生かけてふれた程度の情報を、一週間でさばいて行く。

 このような状況のなかでは、そのときポップな作品を消化するだけで精一杯で、なかなかクラシックに手がのびないのもむりがないといえるでしょう。(つづく)