DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (12) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (12) (ジャンプ・コミックス)

 すべての物語はいつか終わる。あれほど日本中の読者を熱狂させた「DEATH NOTE」にも、ついにその日がやってきた。

 全12巻。適度な巻数ではないだろうか。現代の漫画はときにあまりにも流すぎる。これほどの人気を集めながらこの巻数でスマートに完結できたことだけでも、この作品は賞賛されて良いと思う。

 さて、以下の記述には「DEATH NOTE」全編にかんする重大なネタバレが含まれている。くれぐれも未読の方は読まないように。「DEATH NOTE」はここ10年の少年漫画界でも指折りの傑作である。ぜひじぶんの目でその凄みを確認してほしい。

 それでは、「DEATH NOTE」はどこがそれほど凄かったのか。これに対しては、いろいろな回答が考えられると思う。練りに練られたシナリオだとか、小畑健の圧倒的な画力だとか、意表をつく展開だとか、あるいは史上空前の殺人鬼を主人公に据えた作者たちの度胸だとか。

 もちろんそのすべてが間違いではない。しかし、それを承知した上で、ぼくはやはりいいたい。「DEATH NOTE」最大の特色は夜神月という主人公像である、と。

 月はあらゆる意味で既存の少年漫画の主人公像を塗り変える存在だった。まず明確な欠点が存在しないこと。夜神月、かれは宿命の好敵手であるLにさえ「完璧すぎる」といわせるほどに非の打ち所のない美貌の天才青年である。

 いままでの「少年ジャンプ」を彩ってきたヒーローたち――「DRAGON BALL」の孫悟空や「SLUM DUNK」の桜木花道らと比べればその個性はあきらかだろう。その意味では、むしろ宿敵Lのほうがまだしも少年誌的なキャラクターであったといえる。

 そして、目の前に立ちふさがるものの殺人をためらわないダークヒーローであること。はじめ、理想に燃えるイノセントな革命家のようにみえていた月は、物語がすすむにつれて味方の殺害すらいとわない悪魔的性格の人物へと変わっていく。

 全12巻を通じて、少しずつ、少しずつ、その身ぬちに毒がまわっていくように、月は変わっていくのだ。思えば、その月の変化をだれにでもひと目で描ききった小畑健の技量はみごとだった。

 「ヒカルの碁」の時点でかれの技量は傑出したものがあったが、「DEATH NOTE」の成功によってさらにその評価は高くなったといえるだろう。

 しかし、この最終巻において、夜神月はついに崩れ去る。ニアとの頭脳戦に敗北し、みじめにうろたえて地を這うことになる。そう、まるでただの人間かなにかのように。

 この最終巻の意味は、夜神月の偶像を粉々に打ち砕いたところにある。作中ではメロとニア、ふたりの力をあわせた結果、月ひとりの能力を上回ったのだ、と説明される。それはそれで納得できる理由づけではある。

 しかし、Lと好勝負を繰り広げていた頃の月との落差はあまりにも大きい。おそらくこの展開に失望した読者も多いだろう。

 それも当然なのだ。「DEATH NOTE」という作品の最大の魅力が、超自然の存在である死神すらも論理の綱で縛り、悪魔的策略を弄しては生命をもてあそぶ天才青年の魅力にあったことはまちがいないのだから。

 夜神月、かれは現代のイカロスである。人間を超えて神となることを夢みて、ついに地上にたたき落とされた。しかし、それでは夜神月もしょせんただの人間であり、やはり人間の限界に縛られていたのか。

 これには議論の余地がのこされていると思う。「最後は策士策に溺れみじめに死んでいく」展開はこの種の物語の定石であり、「DEATH NOTE」がそれを破れなかったことは事実だ。

 しかし、この最終巻でデスノートを使ったものの運命が、「天国も地獄もない」この世界で無に消えていくことだとあきらかにされた。そして、月がそれを知っていることも。それはつまり、この世界には超越的な裁き手がいないということでもある。月は結局、自分自身に敗れたのだ、ということもできる。

 思えば、Lを破ったときがかれの絶頂だった。Lと月は双生児のような関係にある。もし最初にLがデスノートを拾っていたらかれが殺人鬼となっていたかもしれない。月が名探偵となってキラを追っていたかもしれない。Lを殺すことで、月はじぶんの運命にも終止符を打ったのだ。

 その意味では第2部の物語は長い余談に過ぎず、月という希代の主人公像を打ち砕くためだけに存在するといえる。メロもニアも、極限するならただそれだけのために生み出されたキャラクターである。

 しかし、ともかく物語は終わった。いまは結末の余韻を味わいながら、この不世出の傑作の思い出にひたりたいと思う。ねがわくば、次の物語がよりあざやかな興奮をあたえてくれることを。