その3 胎児は人権を主張できるか?


 ぼくがid:Leiermannさんの主張で納得できないのは、主に以下の個所です。

 にもかかわらず、多くの「フェミニスト」達は「中絶は女性の権利」だなどと平然と主張する。正直、人格を疑ってしまう。男の「自分の子供を殺されない権利」が無視されているという問題だけではない。子供の権利はどこに行ったのだ、子供の権利は。

 この文章に対するぼくの異論を簡単にまとめると、以下のようになります。

 第一に、フェミニストはたしかに「中絶は女性の権利」だと「平然と主張」したが、彼女たちの議論はその水準に終始していない。「中絶は女性の権利」論を激しく批判したのもまたフェミニストである。

 第二に、フェミニストは「男の「自分の子供を殺されない権利」」を無視してなどいない。検討の末、却下したのである。

 第三に、フェミニストは「子供の権利」を無視してもいない。フェミニストは「女性の権利」と「子供の権利」がコンフリクトする中絶という問題に対して詳細な検討を加えてきた。

 少なくとも「人格を疑」われはしない程度には精密な議論がくりひろげられている。ただ、知らないひとは知らないだけである。

 まあ、ぼくもしょせん素人なのでどれほど詳しく知っているわけでもないんですが、少なくともこの場合はフェミニズムは過小評価されていると断定してよいかと思います。

 順番に見ていってみましょう。まず「中絶は女性の権利」論ですが、これはたしかにフェミニストのスローガンでした。

 「私の身体は私のもの」「産む産まないは女が決める」。出産と中絶にかんする権利主体があくまで女性であることを主張するこういった主張は、フェミニズムの中核をなす思想といってもいいでしょう。

 これらの主張は欧米のリベラリズムにその論理的根拠を依拠します。自由、平等を基本理念として公正な社会の実現をめざすリベラリズムは、当然ながら身体の自己所有の権利を認めます。

 従って、「私の身体は私のものである」以上、「私」には「私の身体」の一部である胎児を堕胎する権利が認められることになる。

 しかし、ここで重大な疑惑が発生します。たしかに胎児は母親の胎内で育つ存在ですが、それを単純に女性のからだの一部と見ることは赦されるものでしょうか。むしろ独立した権利を所有する別個の生命として見るべきではないでしょうか。

 母親が胎児を堕胎すれば、胎児は死亡します。胎児がたんに母親の一部分であるとすれば、それは自分の肉体を切り捨てたというだけのことで、だれに非難される筋合いもない。

 しかし、胎児が一個の独立した権利主体であるとするなら、これは母親による胎児の権利の侵害と捉えられることになるかもしれません。ここに妊娠中絶問題の本質があります。

 いったいわれわれは、胎児がたんなる肉の塊であるか、それとも一個の権利主体であるかをどのようにして判断すればよいのでしょうか。ここで浮上してくるのが、「パーソン論(人格論)」と呼ばれる思想です。