その2

 さて、先述したようシリアス世界とコメディ世界にわかれて物語が進む作品はほかにもある。しかし「フルメタル・パニック!」は軍隊と戦争をテーマにしているだけに、両者の落差が非常に大きい。この落差こそが、「フルメタ」の魅力であり、また問題点でもある。

 この作品が映像化されるとき、コメディ世界に属する短篇シリーズは「フルメタル・パニック?ふもっふ」というタイトルでまとめられることになった。「The Second Raid」(以下「TSR」)と同じ京都アニメーションの製作である。

 このシリーズの最終回が、生物兵器ネタだった。あるとき、主人公相良宗介が学校に生物兵器を持ち込んでしまう。すぐにクラスを封鎖するも、そのなかで生きのこれるのはひとりだけ。その一名をくじ引きで決めようとするのだが――というお話。

 「ふもっふ」の世界が「ひとが死なない世界」である以上、当然、さいごにはすべては誤解だったという結末になる。しかし、ぼくはこの作品を見ていて、どうにも居心地が悪かった。

 あからさまなコメディなのに、「これを笑ってもいいのか?」という疑問符がつきまとう。なぜなら作中の登場人物たちは、その世界が「ひとが死なない世界」であることを知らないからだ。そうである以上、かれらはその状況に真剣に悩み、苦しんでいるはずだ。

 クラスのなかで生きのこれるのはひとりだけ――という状況は、真面目に考えれば「バトル・ロワイアル」並みの惨劇である。これを笑ってもいいものなのか? 視聴者がこれを笑えるとすれば、「この作品が「ふもっふ」である以上、物語はコメディに着地する」というメタレベルの保証があるからに過ぎないのではないか。

 しかし、「ふもっふ」と「TSR」は同じひとつの世界を共有しているのである。ただ作品のタイトルが違うという理由で、ある物語がお笑いになり、ドラマになるのはおかしくはないか。

 こういう問題は「フルメタ」全編につきまとっている。そもそもこの作品のギャグは、傭兵である主人公相良宗介の行動と日常生活とのギャップのなかにある。

 戦場の勇者である宗介は、あらゆる場面において軍隊的な行動を取る。しかし、その行動は日本の学生としては非常識そのもの。読者ないし視聴者は、その落差に笑う。

 だが、時どき、笑ってばかりもいられないような気がするのである。宗介の殺人者としての過去や、そのキャラクターは両シリーズ共通だからだ。宗介はコメディ世界とシリアス世界、その両者に足場をもつキャラクターなのである。

 アニメではまだそこまで達していないが、原作小説ではコメディ世界とシリアス世界は既に融合を遂げている。というか、コメディ世界はシリアス世界に統合されている。

 こうなってくると、なおさらコメディ世界とシリアス世界とルールの差が気になってくる。と、ここでようやく話は「TSR」に戻る。