列車さえも止められるという降龍十八掌を試すために線路に飛び降りた17歳少年


 どこの国にもまぬけな奴はいるもんだ。まあ、気持ちはわかるけれど。

 「降龍十八掌」は金庸の名作「射雕英雄伝」及び「天龍八部」に登場する主人公の必殺技。まさに「龍をも降す」威力を誇る最強の技で、代々丐幇*1の盟主にだけ伝えられています。

 十八掌のうち一手でも身につければ相当の実力を誇ることになるため、迂闊に教えることもできないんですね。まあ、北斗神拳みたいなものですか。

 「射雕英雄伝」の主人公郭靖(かくせい)は、ちょっとした偶然からこの技を習得し、長い時間をかけて磨いていくことになります。ぼくは長年、金庸のオリジナルだと思っていたんだけれど、ひょっとしたらなにか出典があるのかも。

 金庸は、この日記でも何度か取り上げたことがあります。中国の武侠作家で、既に引退していますが、その十二作の長篇はアジア一帯でたびたび映像化され、親しまれているそうです。その一部は日本でもDVDで見ることができます。

 ぼくはこのひとこそ、20世紀最大の物語作家だと思っています。波乱万丈、息をもつかせぬ物語を生み出すことにかけて、金庸以上の作家はまず思いつきません。

 とにかく、おもしろい。いったん読みはじめるとすぐにはやめられない麻薬的な魅力をもった小説を書くひとです。漫画もゲームも敵じゃない圧倒的なおもしろさがかれの作品の特色といっていいでしょう。

 最近、金庸と並び称される古龍や梁羽生の作品も翻訳されましたが、やはり金庸と比べると一歩譲る印象です。

 こう書くとお前、このあいだジョージ・R・R・マーティンの「氷と炎の歌」を世界一だといっていたじゃないかと思われる方もいらっしゃるでしょうが、なんというか、金庸とマーティンじゃ種類が違う。

 すみずみまで緻密に計算されつくしたマーティンの小説と比べると、金庸の作品はその場の勢いまかせみたいなところがある。新聞連載小説という媒体の関係もあるのでしょうが、金庸の作品にはどう考えても無茶な展開や矛盾した個所が少なくない。

 たとえば「飛狐外伝」という作品があります。「雪山飛狐」の番外編ですが、番外編なのに本編とちっとも整合性がない(笑)。矛盾しまくり。

 おもしろいのは、それがかれの作品の魅力を少しも減じていないことです。金庸武侠小説ではドライブ感が第一であって、多少の矛盾には目をつむっているんですね。ここらへんの大らかさがなんともいえません。

 とはいえ、そのテーマ性には非常に深刻なものがあります。たとえば愛国主義民族主義に対するスタンスは実にすさまじい。

 日本でも最近、嫌韓だの嫌中だのといった言葉が生まれていますが、それはしょせん「自分は日本人だ」という確固たるアイデンティティを前提としたものに過ぎません。

 しかし、金庸の後期作品では、その民族的/国家的アイデンティティそのものが崩壊してしまった主人公が登場します。そしてさまざまな差別や軋轢を乗り越えていくことになるのですが――その話はまたいずれ。

*1:乞食の組織。巨大なネットワークを誇る。