負け犬の遠吠え

負け犬の遠吠え

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)

 本田透が「電波男」および「萌える男」でとりあげていた2冊である。

 これらについて、香山リカ「結婚がこわい」、斎藤環「家族の痕跡」、上野千鶴子小倉千加子「ザ・フェミニズム」などを引用しながら多角的に分析してみよう――という気があったのだが、気力がないのでやめた。簡単な感想だけ書いておこう。

 本田は「負け犬の遠吠え」を「オタクを嘲笑している」として批判する一方で、「オニババ化する女たち」には共感を示している。で、ぼくの感想はといえば、ちょうどその逆だった。

 「負け犬の遠吠え」はそれなりにおもしろかったけれど、「オニババ化する女たち」は――なんだ、これ。なんというか、これくらい突っ込みどころにあふれた本もめずらしい。

 「現代女性は身体性を取り戻すべきだ」という主張そのものは悪くないと思う。けれど、そのための論理展開がなんか致命的におかしい。読みながら苦笑いすることしきりだった。たとえば以下のような記述。

 説明するのがちょっと難しくて誤解も生みそうですが、女性というのは、やはり、少しボーっとしているほうがいいようです。こっちの世界にいるのかあっちの世界にいるのかよくわからないのだけれども、ふわっとしたような感じ、というのがよい状態だと思います。やっぱり、セックスを通じてそういう感じがもっとも身近に得られると思っています。

 そこまで難しく考えなくても、単純に、たとえば盛りのついた犬はちゃんと、盛りを抑えるようなことをしないといけないではないですか。そうすると、穏やかになりますよね。でも、女性にそんなことを言っても、私、性欲感じません、という人が多いわけでしょうから、本当に伝えるのがむずかしいと思います。

 犬といっしょなのかよ。

 この本の特徴は、このとおり、全編が「セックス&出産至上主義」に貫かれているところにある。女の仕事はこどもを産むこと、それ以外はどうでもいい些事に過ぎない、仕事を選んで歳をとってから後悔しても遅い、どうせたいした仕事じゃないんだからやめてもいいはず、とにかくあいてをえり好みしたりせず、だれでもいいのでさっさと結婚してこどもを産んでしまいなさい、という論調なのである。

 それだけならまだうなずけないこともないのだが、後半の「赤ちゃんになれなかった卵子の悲しみが女性を病気にする」などという主張はほとんどオカルトじみている。ハイハイ、疑似科学疑似科学

 「負け犬の遠吠え」が、斎藤のいうように「ポスト・フェミニズム本」だったとしたら、こちらは「アンチ・フェミニズム本」だろう。フェミニズム言説が衰退しているといわれるなかで、このような本が出版され、ベストセラーになった事実は注目にあたいするかもしれない。

 本当はそこらへんのことを掘り下げて書こうと思っていたのだが、やる気がないのでこれで終わりにしておく。ごめん。