その14


 本田さんが「新世紀エヴァンゲリオン」について語っている個所をいくつか「萌える男」からぬき出してみましょう。

 エヴァはSF+ロボット+萌えキャラという三世代にわたるオタク要素をすべて詰め込んだ「オタク文化の集大成」的な作品であったために支持されたのだが、終盤には作品が崩壊して、ついには監督が「オタクは気持ち悪い」と言い出してファンを放置したまま終わってしまったのだ。

 エヴァの主人公・碇シンジは、エヴァンゲリオン初号機という絶対的な「力」を手に入れ、永遠の生命と世界を自由な姿に作り替える能力を有することになる。ところが、シンジが欲したものは、ただ、自分の横にいてくれる生身の女の子だった。

 もちろん、エヴァが自ら作り上げた二次元萌えの世界を否定して「現実へ帰れ」という結論を提示した背景には、本書で何度も繰り返し書いてきたような社会常識――現代日本の主流になっている恋愛資本主義と、そこから取りこぼされた敗者の群れとしての「オタク」世界という旧来の価値観に庵野監督自身、そしてエヴァファンのオタクたち自身が縛られていたということがあるだろう。

 「もちろん」と書かれていますが、ここらへんの論理展開はすぐには納得しがたいものです。

 「エヴァ」が流行の最先端だったあの当時、何十冊もの関連本が出版されましたが、そのなかにも「エヴァ」が恋愛至上主義的な作品だという評価は評価は見当たらなかったように思います。

 そもそもシンジが「ただひたすら萌えキャラとの恋愛を欲し続け」たという解釈にはむりがある。作中、碇シンジが第一義的に求めたものは、「萌えキャラとの恋愛」などではなく、なによりも父・碇ゲンドウからの愛情と理解と承認でした。

 そして意図的に無視しているのか素で忘れているのかわかりませんが、本田さんは渚カヲルというキャラクターを完全に無視しています。

 親友とも思えたカヲルをみずからの手で殺害しなければならないという絶望的状況に追い込まれて初めて、シンジは「萌えキャラ」であるアスカのもとへ向かうのです。

 これはシンジが求めていたものが、必ずしも異性との恋愛ではなかった証拠になると思います。本田さん自身が「萌えキャラとの恋愛」にしか興味がなかったから、そこだけがクローズアップされて見えたということなんじゃないかな。

 そして「エヴァ」が「現実に帰れ」と主張していたというのも、あくまで本田さん個人の解釈に過ぎません。

 本当はここで庵野監督インタビューが掲載されている「パラノ・エヴァンゲリオン」および「スキゾ・エヴァンゲリオン」をひっくり返してきて、本田さんの主張がどこまで正しいのか検証しようかと思ったのですが、実物がどこにも見当たらないので、あとまわしにすることにします(-_-;)。

 しかし、ここでより重要なのは、本田さんが「エヴァ」の結末をあくまで否定的にとらえているという事実です。