その11


 「ちびくろサンボよすこやかによみがえれ」からもう少し引用をつづけましょう。同書には、被差別者のアイデンティティ獲得運動についてつぎのように述べた個所があります。

 反差別運動は、差別される人びとを代表して、社会に対して被害の状況を訴え、その是正をもとめる。被差別者は、政治的、経済的、社会的、文化的に劣位におかれているため、被差別者同士の団結が必要である。そして、この団結を支えるものとして、多数派集団の価値観に対抗するためのアイデンティティが生みだされる。たとえば「穢多の誇り」「ブラック・イズ・ビューティフル」「朝鮮民族の誇り」「障害がなぜ悪い」「原始、女性は太陽であった」などだ。多くの反差別運動が、社会的価値観に対抗して自らを肯定するこういった「対抗的アイデンティティ」を生みだし、一時代を画する飛躍をとげていることは、歴史上しばしば目にするところである。

 本田さんのかかげる「萌える男は正しい」という思想も、あきらかにこういった「対抗的アイデンティティ」の系譜に位置づけられるものです。

 つまり、本田さんの論理展開は歴史的にみればめずらしいものではなく、むしろ、被差別集団(というか、自分たちは差別されていると信じる集団)からは必然的に出てくるものだということです。

 前掲書では、こういった「対抗的アイデンティティ」は、一時的には有効であるけれども、反差別運動の進展とともに、いずれ意味がなくなっていくことが書かれています。

 なぜなら、「反差別運動の本質は、被差別者が少数派として尊重されることをめざしているわけではなく、社会の構成メンバーとして平等に遇されることをめざしている」からです。

 ようするに、反差別運動とは「おれたちをふつうに扱ってくれ」という運動ですから、いつかは「ふつうじゃないおれ」というアイデンティティを放棄せざるをえなくなるということです。

 これをオタクに敷衍すると、本気で「オタクを差別するな」という運動を押し進める気なら、「オタクは特別な少数派だ」というアイデンティティはいつか放棄しなければならないということになります。

 ところが、必要以上のルサンチマンに捕らわれていると、それができなくなってしまう。そして、なにかにつけて「おれは差別されている」という被害者意識に耽ることになる。

 たしかに、現状では、オタクは差別されているかもしれません。キモメンはばかにされることがあるかもしれません。しかし、決して「いつも」差別されているわけでもなければ、ばかにされているわけでもない。そして、未来永劫差別されつづけるともかぎらない。

 つまり、じっさいに差別されたと感じたときだけ怒ればいいのであって、四六時中差別されているのではないかと考えつづける必要はまったくないということです。そんなことをしているかぎり被差別意識は決してなくならないでしょう。