その10


 この文章を読むと、本田さんはやけに自己卑下しているように思えるけれど、じつはぎゃくです。だって、ようするに「自分はちっとも悪くないのに、顔のことだけで差別された」と主張しているわけですから。むしろひらきなおっているんです。

 まあ、本田さんがどうしようもないキモメンだ、ということは事実だとしましょう。「母も、先生も、同級生も、先輩も、同僚も、後輩も、誰も彼もが俺を憎み、罵り、否定した」こともそのまま事実として受け止めましょう。

 でも、だからといって「キモメンだから憎まれたのだ」という理屈は成り立たないと思うんですよね。ここには、ほかに嫌われるだけの理由があったかもしれない、という視点が欠けている。

 わかりやすく説明すると、こういうことです。たとえばこの日記のコメント欄に「あなたの考え方はまちがえている」と書かれたとしましょう。

 そのとき、ぼくが「おまえはおれがキモメンだからそんなことを言うんだな!」と言い出したらどうでしょう。だれもが「いや、それは話が違うから」と思うことでしょう。

 もちろん、本田さんがどこまで真剣なのかはわかりません。全部ネタなのかも。ただ、こういう被害妄想的発想はオタクロジックにおいてはわりと一般的に見られるものです。

 というか、被差別者一般に散見される現象らしく、「ちびくろサンボよすこやかによみがえれ」にもこれとおなじようなエピソードが記されています。

 ある学生がプールで水泳の指導員をやっていたときのことです。かれは、プールサイドでこどもがふざけて走ったりした場合、厳しく注意していたそうです。ぼくはむかし水泳をやっていたのでわかるのですが、これは滑りやすくて危ない。注意するのが当然でしょう。

 しかし、あるとき朝鮮人のこどもを叱ったところ、その母親が「うちの子が朝鮮人やと思って差別してる」と怒ってきたのだとか。もちろんかれは、その子が朝鮮人だから注意したわけではないらしいのですが、とにかくそういうことがあった、ということです。

 この場合は、本田透における「おれはキモメンだから」が、「わたしの子が朝鮮人だから」に変わっているという違いはありますが、ほぼ同じ論法だといえるでしょう。

 この論法の特徴は、あいてが本当にそう思っているのかどうかまったく考えていないところにあります。とにかく自分の被害者意識がすべてなんですね。つまり、内面化されたコンプレックスの問題であるわけです。

 当然、この「おれは××だから」の××に「オタク」が入ることもありえます。こういうときは、あいてが全然ばかにしていなくても、ばかにされたように感じてしまうようです。

 これはたしかに差別の問題ではあるかもしれませんが、しかし「差別されている」と感じている本人が解決しないとどうしようもないことです。さもないと、他者のなんでもない言動の端々から差別意識を読み取ってしまうことになりかねません。