その9


 「ちびくろサンボよすこやかによみがえれ」の193ページには「被差別の痛みを疑え」と題した、つぎのような記述が存在します。

 「被差別の痛み」とはなんだろうか。……簡単じゃないか。踏まれた足が痛んでいるんだよ。……なるほど。しかし、俺にはお前の左足を踏んでいるのは、お前自身の左足に見えてしかたがないんだよな。

 はっきりいおう。「被差別者の痛み」をなりたたせているもっとも本質的な要素は、被差別者自身のコンプレックス、劣等感である。社会的抑圧が強くても、それがなければ被差別の痛みは起こらない。

 差別問題について考えている人のなかでも意外に理解されていないのが、被差別者自身が自分の劣等性を内面化している、ということである。つまりこの被差別者は、無意識のうちに自らを劣っていると思っているのだ。

 「オタク」について考えるとき、この「内面化されたコンプレックス」という考え方は非常に重要だと思います。というか、これを考えに入れないと、オタクの言動は理解できないことが多い。

 簡単にいうと、オタクのなかにはオタクをやっていながら「でも、オタクなんてくだらない」と思っていることが少なくないということです。したがって、オタクの作品評価はしばしば非常に倒錯したものになりかねない。

 しかし、ここでは話を本田透に限定しましょう。本田さんの文章にはこの内面化されたコンプレックスにもとづいているとしか考えられないものが少なくありません。ぶっちゃけ、「いや、それ、ただの被害妄想だろ」というか。

 たとえばTacticsのゲーム「ONE −輝く世界へ−」の「みさき先輩」について語った以下のような文章。

 三次元の世界に、こんなに優しい人がいたか? いや、いない! 一人もいなかった! 30年も生きてきて、女は誰一人、俺を赦そうとはしなかった。

 母も、先生も、同級生も、先輩も、同僚も、後輩も、誰も彼もが俺を憎み、罵り、否定した。俺の顔がブサイクだったばっかりに……。

 泣かせる文章ではあります。ぼくはみさき先輩より瑞佳とか七瀬あたりのほうが好きなんだけれど、おなじ「ONE」というゲームを愛する同志としてじつに共感できます。

 なんというか、ネタとかベタとかいう次元を超えて胸に迫ってくる力強さがありますね。多少なりとも本気でなければ吐けない台詞だと思います。

 ここで「でも、本田透ってそんなにひどいキモメンなの?」と思うひともいるでしょうが、じっさい本田さんがどれだけキモメンなのかという話にはそれほど意味がない。

 しょせんイケメンだのキモメンだの、明確な基準があることではありません。本人がそういっているんだからそうなんだと思うほかはない。しかし、それでもやっぱりこれはないだろ、と思いますね。