風の騎士―グイン・サーガ〈105〉 (ハヤカワ文庫JA)

風の騎士―グイン・サーガ〈105〉 (ハヤカワ文庫JA)

 「グイン・サーガ」第105巻。

 「風の騎士」こといまは亡きモンゴール公国の残党アストリアスと、同じくモンゴールで侍女を務めていたフロリーを巡る物語が展開されます。

 このアストリアスくんは、たしか第10巻「死の婚礼」あたりで牢獄に閉じ込められて物語の表舞台から消え去ったので、なんとおよそ100巻ぶり(!)の再登場。ほとんど読者の記憶力に挑戦するかのような展開で、まあ大長編の醍醐味といえなくもありません。

 この「グイン・サーガ」には脇役端役まで含めるとざっと数千名の登場人物が出ているらしいので、忘れ去られた人物が突然ひょっこりと姿をあらわすということもありえるのです。ここまで極端な例はさすがに前代未聞ですが。

 さて、今回はそういった物語の展開にかんする雑感は放置して、主人公である豹頭王グインの妻にして、いずれケイロニア帝国を裏切り「売国妃」となる運命が予告されている少女シルヴィアについて語ってみようと思います。

 ぼくにいわせれば、このシルヴィアこそは「グイン・サーガ」を「グイン・サーガ」にしているキャラクターなのです。

 未読の方のために簡単に説明しておくと、シルヴィアというのは、物語中最大の帝国ケイロニアの皇女で、さまざまな変転の末、グインと結婚する少女です。

 容姿は十人前、それほど聡明でもなく、慎み深くもなく、どちらかといえばわがままで自分勝手な性格で、ケイロニア宮廷ではお荷物扱いされているといっていいでしょう。

 しかし、この少女こそは「グイン・サーガ」のそれこそ数千におよぶ登場人物のなかで、おそらく最も不幸な人間であろうと思われます。自分が宮廷では必要とされていない人間であるということを知っていて、そのことに絶望しているからです。

 おもしろいのは、彼女の父であるアキレウス大帝も、夫であるグインも、それぞれにきわめて偉大な人物でありながら、この少女の心を少しも慰めることができないということです。

 かれらは優秀な政治家であるために、シルヴィアの心よりも政治的な問題を優先します。アキレウス帝はシルヴィアの婚約者をかってに決めますし、グインは彼女が「行かないで」と泣いてすがってもそれを放置して遠征に出てしまいます。

 それはかれらが為政者である以上、当然の行動です。シルヴィアひとりの心を救うために何千何万という民衆に犠牲をしいることはかれらには赦されないのです。かれらはシルヴィアが傷つくことを知りながら、そしてそのことに心を痛めながら、政治家としての行動をとります。

 それは高みに立つ者として正しい選択なのですが――しかし、そんなやりかたはただでさえぼろぼろになったシルヴィアの心をさらに傷つけていきます。

 英雄の豹頭王グインがたったひとりの少女をも救うことができないというところにこの物語の皮肉があるといえるでしょう。というあたりで、つぎの巻の感想につづく。