その5


 あいだが空いてしまいました。書く内容はほぼ決まっているんですけれど、書く気力がなくて放置していたのです。この日記にはそうやって忘れ去られていったコラムがいくつもあります。時の流れは無常ですね(しばし無常に思いを馳せる)。

 なにか違う気もしますが、どうでもいいので先を続けることにしましょう。前回は「ネットにはいいかげんな批判がいくらでもある」というところまで書きました。

 これは異論は出ないところでしょう。このあいだ爆笑問題の番組で「ネットでの書き込みを一文字100円にする」というアイディアが議論されていましたが、まったくそんなアイディアでも採用したくなるくらい、ネットは悪口の巣です。

 いまの時代のクリエイターで、いいかげんな根拠をいいかげんな論理でまとめたいいかげんな批判を受けたことがない人物などほとんどいないのではないでしょうか。

 ぼくが作家だったら、こういう批判を受けたらさぞかし不快でしょう。長い時間と手間をかけて真面目に書いたのに、あたまの悪い読者が偉そうに批判してくる。腹が立ってあたりまえです。

 こういう批判は無視してもいい! 違うでしょうか? え、違う? そう、作家はそういう意見ですら受けいれるべきだ、という考え方もどうやらあるようです。

 多くの場合、その根拠はネットにあげられる批判は、おおむね「率直な意見」である、というところに求められるように思います。

 ようするに、作者の身近なところにいる人間が作者に向けて述べる意見は、どうしたって作者に遠慮したものになるだろうし、お世辞である可能性もある。

 これに対して、ネットにあがってくる意見は、作者と直接利益関係がないものなので、なんの遠慮もない本音の意見といえる、一人前の作家ならこれをしっかりと受け止めて作品を作るべきだ、ということでしょう。

 しかし、ネットでの意見は本当に消費者の「率直な意見」そのものといえるのでしょうか。

 まず考えなければいけないのは、すべての消費者がネットに意見をアップしているわけではないということです。ネットで発言しているのは、「発言したがる欲望」をもった特定の人間でしかない。その影には、さまざまな感想をもちながら沈黙している大多数の消費者が存在しているのです。

 次に、はたしてこれらの意見が本当に作者に対して中立な立場にあるかということも、怪しいといわなければなりません。むしろ「発言したがる主体」である消費者の目は、さまざまな偏見で曇っていると見るほうが理に適っています。

 たとえば作者が長いあいだ連載を投げ出してつづきを書かない、などというとき、読者は作者に悪感情をもっていることがありえる。そういうとき、かれは簡単に作家に対する評価と作品に対する評価を混同するでしょう。

 以上の理由から、ネットにあがる「率直な意見」は、本当の意味で消費者の率直な感想を代表しているかは怪しい、といえると思います。