え? 「サブカル」って「おたく」をカタカナで書いたものじゃないんですか?

ある大まかな志向があるとして、それをさらに細分化して自分や他人の位置を考えるのは、それ自体は別に悪いことではないと思います。分析だけでは分からないこともありますけど、逆に分析によって理解できることもあるでしょう。でも分からないのは、どうしていがみ合う必要があるのかということです。まあ個人個人に好き嫌いはあるでしょうから、あれ気に食わねーとか思うのは仕方ないです。でもそれが大きな流れになって、二派に分かれて睨み合う的展開になるのはさすがにどうかと。

 これはここ最近、ずっとぼくが考えていることですね。ひとはなぜカテゴリにこだわるのかということ、そして、オタクはどうしてああ喧嘩ばかりしているのかということ。

 まあ、「オタクは喧嘩してばかりだ」と書いてしまったら、それ自体が短絡的なカテゴライズになりかねないんだけれど、でも、いるよね。やたら他人を攻撃してばかりいるひと。

 そういえば、最近、たぶん本田透さんの「電波男」が出てからなんだろうけれど、「電波男」的な価値観で他者を攻撃するひとを見かけるようになりました。

 そういうひとに限って人生観が感動系(死語?)エロゲーでできていたりするので、なんなんだろうと思ってしまいます。

 「Kanon」や「AIR」をプレイしてなみだを流せる心優しい感性をもったひとが、現実の女性のことは口汚くののしることができるということは、ちょっと理解に苦しむ事態です。だれかぼくに説明してよ。