その3


 さて、この手の議論をしていると、必ず出てくる意見があります。

 良い作品を作り出すためには、適切な批判が不可欠であり、作家は、たとえ気分が悪くても、これをしっかりと受け止めるべきだ、という考え方です。まず文句のつけようがない正論だといえるでしょう。

 もう少し細かく挙げるなら、「作家である以上、常にベストを尽くすべきだ」、「読者からの意見には謙虚に耳を傾けよ」、「少しのミスもないよう細心の注意を払うべき」、「自分にとって不快な指摘でもきちんと受け止めよ」ということになるでしょうか。

 いずれもひとつひとつをとればまったくの正論で、反論の余地はありません。お説まことにごもっとも。

 こういった思想を反映した作品として、「エスパー魔美」の「くたばれ批評家」という回があります。印象的なエピソードなのですが、手もとに単行本がないので、記憶とネットで拾ってきた情報にもとづいて書くことを赦してください。

 こういう話です。画家である魔美の父親がある批評家から痛烈な批判を受ける。そこで魔美はこの批評家に超能力で仕返しをするのだが、だれにでも批評する権利があると信じるパパに叱られてしまうのだった。めでたしめでたし。

 ネットで拾ってきたところによると、「公表された作品については、みる人全部が自由に批評する権利を持つ。どんなこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ」「剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!! あいつはけなした! ぼくは怒った! それでこの一件はおしまい!!」という台詞があるようです。

 けだし名言といえるでしょう。パパかっこいい! この作品が印象にのこっているひとは少なくないらしく、検索してみると多数の言及を見つけることができました。

 たしかにぼくも、この態度こそは立派な大人の姿勢であると思います。しかし、やはりこれはインターネットが普及する以前のモラルではないかと思うのです。

 ネットはすべてを変えてしまった。いまとなってはこういう姿勢で批評に対することはむずかしいのではないでしょうか。

 この作品は、批評家の顔が見えることが前提となっています。つまりパパには自分の作品をけなしたのが「剣鋭介」という特定の批評家であることがわかっている。必要があれば、その人物がほかの作品に対しどのような評価をくだしているか調べることもできる。

 そういう条件下ではじめて、かれは「そのうち、あいつにもけなしようのないすばらしい絵をかいてみせるさ」ということができる。

 これは自分が素晴らしい作品をかきさえすれば、相手も認めてくれるはずだ、という楽観主義的というか理想主義的な思想が背景になっています。つまり自分と相手が、立場こそ異なっているにしても、表現に対する理想をもっていることが前提となっている。この思想はネット時代には通用しないと思うのです。