その2


 作品製作と批判についてもう少し話をしてみましょう。

 そもそもこの話の発端は、ここ。なんだこのトラックバックの数。語り手がはてなスタッフであることもあって、各地で意見が百出したようです。しかし、そこまでは追いかけていられないので、とりあえずは無視することにします。

 さて、このエントリの要旨は、「人が一生懸命作ったものを安易にクソゲーだとかいってボロクソに書く無神経さが許せない」というところだと思います。ある意味で率直な、理解しやすい意見です。

 しかし、これに対して「金だして買ったユーザーが文句をいうことも赦されないのか。クリエイターというのはそんなに偉いのか」という反論が出てくることもまたよくわかる。

 ぼくの意見としては、まあ、書きたいことがあれば好きに書けばいいんじゃないか、というところです。ぼくも好きに書いているし。ただ、それがクリエイターのためだとか、作品をよくするためだとかいうのはいかにも欺瞞があると思う。結局、ただ自分が文句をいいたいだけなのに、それを作品のためなんて粉飾して正当化するのはばかばかしい。

 じっさいにはクリエイターにとっては役に立たないと思いますよ、ど素人の意見なんて。ある程度数が集まって量的にこういう意見がある、ということがいえるようになったら参考になるかもしれないけれど、ひとりふたりの意見じゃどうにもならない。

 「ファイナルファンタジー12」でいうなら、何百万人というひとがプレイしているわけで、そのなかのひとりの個人的な感想をもとにして以後の作品を修正するということはほとんど考えられないでしょう。

 それに「批判」とはいっても、結局、どれほど的確な意見というわけでもないですからね。イチローや松井が、「腰のひねりかたが悪いんだよ!」というようなやじを聞きとがめたとして、それをフォーム改善の参考にするなどということがありえるでしょうか?

 また、仮に的確な意見であるとしても、どうしようもないことというものもある。たとえば「ゲームバランスが悪い。改善しろ」と書くには3秒もあればじゅうぶんですが、じっさいにバランスを改善するには何百、何千時間をかけた微妙な調整が必要となるわけです。

 しかし、ゲーム製作には制作費の限界もあるし、製作時間の制限もある。「可能なかぎり最高のゲームバランス」を達成することはできても、「すべてにおいて完璧なゲームバランス」は無理なのです。

 いいかたを変えるなら、「すべてが完璧な理想の作品」を生み出すことはどんなクリエイターにもできないということ。なにかを創るということは必ず現実と妥協することでもある。

 どんな天才作家でも詩人でも、自分で完璧な言語を作って作品を作るということはできません。この不完全な、限界をもった日本語という言葉を流用するしかないわけです。

 そういう限界との格闘が創作であって、「完璧じゃない!」という文句はほとんど無意味なものだと思います。

 続くかも。