その1


 各地、エイプリルフールネタでいろいろと盛り上がったようですが、個人的にはid:Erlkonigさんの中二病ネタがおもしろかった。

 典型的な中二病的ダメ批評を列挙してあるんだけれど、どれも本当にありそうな感じ。ていうか、いる。じっさいにいるよ、こういう奴。

 「もう西尾の小説は二度と読まないだろう」みたいに「わざわざ読まないことを宣言する」のもよくありますね。黙って読むのをやめればいいのに、なぜか宣言する。

 べつにそのひとが読もうが読むまいが他人にとっては(作者にとっても)、わりとどうでもいいことのはずなんですが、なにか重大発表のように捉えている。ありがちありがち。

 最近、はてな界隈ではid:naoyaさんのエントリを皮切りに「創作と批判」を巡る意見のやりとりが活発ですが、この「あきらかにダメな感想」が「なぜダメなのか」と考えていくと、なにかしら見えてくるものがあるかもしれません。もちろんリンク先ではネタとしてわざとやっているんですよ。念のため。

 さて、このエントリに挙げられた「感想」をひととおり読んでみてわかることは、とにかくものの見方が一面的だということです。

 ここがうまいところなんだけれど、ひとつひとつの意見は実はわからなくもないんだよね(「AIR」つまんね、とか)。ただ、「べつの見方もある」という視点が徹底的に欠落している。

 まあ、現実には、いまじっさいに市場に出ているほとんどの作品は、「良い作品」とか「悪い作品」というひと言であらわせるようなものじゃないわけですよ。「長所もあるし、欠点もある」というのが大抵のはず。だから、その片方しか見えていない感想は、信用できない可能性が高いといえる。

 また、人間、すべての作品を好きになるというわけにはなかなかいかないから、本当にフェアな評価をしていれば、「オレは好きじゃないけれど、良い作品だよね」とか、「ぼくは好きだけれど、技術的にはちょっとね……」みたいなかんじで、主観的好悪と客観的評価が一致しない例というものが必ず出てくるはずです。それがまったくない場合は、これも怪しいということになる。

 世の中にはいるんだよね。「自分がきらいなものはこの世にあるべきではない」と本気で考えているひとが。

 じっさい、ただの素人がそうそう広い範囲の作品を正確に評価できるものじゃないですよ。作品を評価するという行為は、人格の問題である以上に能力の問題です。たいていのひとは、ごく狭い範囲の作品しか理解できない。

 だから、なにかを批判するなら、それを評価している人間の価値観をも理解したうえで批判するべきなのに、「バカなオタク」とか「なにもわかっていない大衆」みたいな紋切型でそういう価値観を切り捨ててしまうひとがいる。いるんだよ。

 まあ、これはもちろん自戒のことばで、自分自身実行できているかわからないことなんですが。ということにしておくか。