夢みる宝石 (ハヤカワ文庫SF)

夢みる宝石 (ハヤカワ文庫SF)

 シオドア・スタージョン――その名前は、いまとなってはすっかり特別なものになってしまった。かれの小説にはただ優れた作品という次元を超えたなにかがあって、いちど読んだら忘れられないのである。

 しかしこの偉大な短編作家は、はたして長篇でも同様にその才能を発揮しているのだろうか? いままでそう疑問に思っていたが、この「夢みる宝石」を読んだいまなら、スタージョンは長篇においても最高の作家であると自信をもって断言できる。

 実をいえば、ぼくは中高生の頃、この小説を読んだことがある。しかし、そのときは作品の本質を理解できず、ただ捉えどころのない作品だと感じただけだった。そしてそのあとさまざまな小説を読んでいくなかで、いつしかすっかり内容を忘れてしまった。

 解説で「スタージョンは相当に難解な作家である」と書かれているのは、たぶんこういうことなのだろう。スタージョンの作品は決してわかりやすくはない。

 そのふしぎな、奇妙な、不可解な世界を理解するためには、ある感性が必要であり、それがなければ、なにがおもしろいのかすらさっぱりわからないということになりかねないのである。

 十数年前のぼくにはわからなかった。いまならわかる。スタージョンがこの長篇を通して描こうとしたのは、愛と憎悪の観念的な闘争劇だったということが。

 しかし、それは決して晦渋なばかりではない。むしろ全編これほど美にみちた小説はめったにあるものではないだろう。

 まずThe Dreaming Jewelsというタイトルそのものが美しい。夢みる宝石――この幻想的なタイトルは、物語のすべてを象徴している。主人公ホーティが蟻を食べているところを見つかる冒頭をはじめとして、この小説には実に異様なイメージがあふれている。

 「夢みる」ことによってこの世界にさまざまな生きものを生み出す宝石生命体。かれらによって不完全なかたちで生み落とされたフリークスたち。そのフリークスを使った死のサーカス。それを操る狂ったおとこ。

 読みすすめるほどにその美しい、しかしどこか歪んだ想像力に圧倒される。いったいどんな才能があればこんな世界を形づくれるのだろう?

 そう思って解説をひらくと、そこではスタージョンの人生が俯瞰されている。スタージョンは生涯五度にわたって結婚と離婚をくり返し、また次々と職業を変えている。

 その経歴から浮かび上がるのは、作家としては偉大だが、社会人としてはあまりに未熟なひとりの男の姿だ。

 神はときどききまぐれにこんな人間を作る。あたりまえの日常を生きることができない代わり、夢と魔法についてはだれよりもよく知っている人間、二本足で地面を踏みしめて歩くことはできないくせに、空中ブランコで空を翔けることは楽々とこなす人間を。

 そんな人々を、ぼくたちは敬意をこめて「天才」と呼ぶ。スタージョンは不世出の天才作家である。この作家と出会えた幸運を、いまは心からよろこびたい。