PLUTO (3) (ビッグコミック)

PLUTO (3) (ビッグコミック)

 この漫画の新刊が出ると五つ星をつけざるをえないから困るよなあ。おそらく完結のあかつきには浦沢直樹の代表作として語り継がれるであろう「PLUTO」、待望の、まさに待望の第三巻である。

 「20世紀少年」はいいからこちらのほうを早く完結させてほしいと望む読者は少なくないはずだ。しかし浦沢はそんな読者の望みを弄ぶかのようにゆっくりと物語をすすめていく。

 遂に登場したウラン、光とともに降臨するエプシロン、そして ロボット破壊をつづけるプルートゥ。幾多の人物を絡めながら緊迫感も、なぞも、どんどん増していく一方である。

 そして、それでいてストーリーはまったく混乱をみせない。手塚のプロットを流用しているにもかかわらず、ここにあるものはまったくあたらしい漫画だ。いやあ、浦沢直樹ってほんとにうまいですね。

 で、終わらせてしまってはあまりに芸がなさすぎるから、ぼくなりに「PLUTO」という作品のサスペンスの秘密について説明してみよう。

 浦沢直樹はつねに果敢な挑戦を辞さない作家であるために、読者はかれの作品を読むとき、物語レベルのサスペンスとともに、メタレベルのサスペンスをも楽しむことができるということだ。

 それは「MONSTER」のときは、「はたしてこの膨大な伏線を消化しきれるのか」、「本当にこの物語を完結させることができるのか」というものだっただろう。

 そして「PLUTO」では、それに加えて「はたして浦沢は本当に「アトム」の世界を現代漫画の水準で再現しきれるのか」というサスペンスが読者を惹きつける。

 いわば読者は手塚と浦沢のガチンコバトルの観戦者となって、この世紀の一戦を見つめることになるのである。

 そしてどうやら、浦沢は、そのことを十分に承知しているらしい。だからこそかれはアトムの登場を第一巻の最後まで遅らせる。

 数ヶ月の連載を通してゲジヒトといういかにも浦沢的なキャラクターの物語を見せつけられた読者は、ひょっとしたらこの作品にはアトムは登場しないのではないかという疑惑を抱いただろう。

 それはつまり「アトムを現代漫画のキャラクターとして表現する」という挑戦から逃げたのではないか、という懐疑とひとしい。

 そしてそんな疑惑が頂点に達したあたりで、アトムはあっさりと登場する。手塚版アトムとは似ても似つかないいかにもふつうの、しかしあまりに知的な少年として。

 このアトムはどうみてもアトムではないが、しかし読みすすめて行くにつれアトム以外の何者でもないということがわかってくる。ここらへんの呼吸は絶妙だ。

 アトムとウランが登場した現在、そういったレベルで作品を読む読者の興味は、「プルートゥはどう描かれるのか?」、そして「天馬博士はどう描かれるのだろうか?」というあたりに集中しているだろう。

 その点について浦沢は憎たらしいほどじらす。こうしてまた第四巻を買わざるをえないところに読者は追いこまれてゆくのである。うまいよなあ、ほんと。