その1


 せっかく「Kanon」の話が出たので、そこらへんの話でもしましょうか。

 ぼくの日記は読書好きのひとが読んでいるのかオタクのひとが読んでいるのかよくわからないわけですが(笑)、ぼくも一応、オタクの範疇に入る人間なので、たまにはそういう話をしたくなるんですね。

 告白すると、はてなに移行する前は、トップページで「鳥の詩」を流していたことありました。うわ、恥ずかしい。恥ずかしすぎる過去だ。ここらへんのことは黒歴史として永遠に封印しておくことにしよう。

 さて、「Kanon」はエロゲー史にのこる千古の名作であるわけですが、個人的にも思い入れの深い作品です。はじめてプレイしたときは、感動の余り、涙でモニターで見えなくなりました(嘘)。

 まあ、おもしろかったんですけれど、でも、「どこがおもしろかったのか」と説明しようとすると、わりに長くなってしまいます。せっかくなので、順序だててわかりやすく説明していってみましょう。

 さて、ぼくは読書が大好きで、エロゲーもわりと好きなのですが、そうかといってふだんSFとかミステリなどを好んで読むひとが、「ひとつエロゲーでもやってみるか」と思い立ったとしても、なかなかたのしめないんじゃないかと思います。

 まあ、エロゲーとはいってもいろいろあるわけですが、ここでいうのはいわゆる葉鍵系*1の作品のこと。ここらへんの作品は、そもそもSFやミステリとは作劇の方法論が異なっているように思います。

 「To Heart」とか「Kanon」あたりはまだしも、「AIR」あたりまで来るともうエンターテインメントと呼べるかどうかすら怪しい。ぼくは冗談半分にアンチエンターテインメントなんて呼んだりします。

 そのことについて語るためには、そもそもエンターテインメントとはなにか、という話をしなければならないでしょう。

 まあ、ここでは、すんなりとその世界に入っていけて、楽しんだり喜んだり泣いたり笑ったりできて、終わったらその結末に納得して現実に帰ることができる、そういう構造ができあがっている作品、それをエンターテインメントと呼ぶ、ということにしましょう。

 作家の福井晴敏は、なにかのインタビューで、この構造のことを「導線」と呼び、「「機動戦士ガンダム」には「導線」があるが、「機動戦士Zガンダム」にはない」と評価していました。卓見だと思います。「Z」の結末って、あれだもんね。

 したがって、エンターテインメントとしては「ファースト」のほうが「Z」よりよくできていたといえます(むろん一面的な見方ですが)。これは「ファースト」が連邦とジオンの二極対立構造であるのに対し、「Z」が、いろいろな勢力が絡む多極構造であることと無関係ではないでしょう。が、まあ、それは今回の話とは関係ない。

 とにかく、作品をエンターテインメントとして成立させるためには、「導線」が大事だよ、ということです。そして葉鍵系の作品では、この「導線」が大変怪しいように思うのです。

*1:LeafやKeyによるキャラクター性と物語性を重視した作品の総称。