たしかに、黄金時代のSF作家として、手塚治虫はありとあらゆる「人間以外」の存在を描いた。ロボット、異星人、未来人、人工生命、動物、怪物、あるいはなめくじから進化した生物――しかし、かれはそれらをことごとく人間にしてしまった。

 ことばをしゃべらせ、内面の葛藤を描いたのである。手塚の描くなめくじは、実に人間的としかいいようがない苦しみをかかえている。例外がないわけではないが、手塚の化物たちは概してそのようなものだった。

 アトムほど人間的なロボットはいないだろうし、レオほど人間的なライオンはちょっと考えられない。

 そしてまた手塚の世界では、永遠の時間を生きる超越者であるはずの火の鳥ですらちゃんと喋る。そしてときに人間の愚かしさについて思い悩んでいるようにも見える。そういう意味では、火の鳥もまた人間なのだ。

 それがSF作家としての手塚の限界であった、と断じることもできるだろう。しかし先述したようにぼくは人間中心主義者だから、手塚のそういうところが大好きだ。手塚は人間しか描けなかったかもしれないが、人間を描くことにかんしては達人だったのである。

 その手塚を尊敬してやまない栗本薫などもそういう作家で、彼女の場合、どんな悪役、どんな怪物にもかならず共感すべき内面を設定し、描写してしまう。そして手塚の場合のおなじく、これは諸刃の刃である。