トンデモ本?違う、SFだ!

トンデモ本?違う、SFだ!

 山本弘によるSF啓蒙書第一弾。なんとなく読み返してみた。薄いうえにフランクな文体で書かれているので、その気になればあっというまに読み通せる。

 いつものことだから、その語り口はじつに熱い。全編、独断と偏見にみち、純然たる熱意と膨大な知識をバックグラウンドにひたすらSFを語り倒している。

 小中学生のころからこの人の本を読んでいるのだが、その熱さは いまでもやはり魅力的である。

 でも、こうなんでもきっぱり断定してしまうから敵を作るんだろうなあ。余計なお世話かもしれないが、つくづく不器用なひとだと思う。

 再読するまできづかなかったのだが、この熱さはどことなく本田透の「電波男」に似ている。ある仮想的を作った上で、それに媚びる態度を蔑視しているところなどそっくりである。

 違うのはその仮想的が本田さんの場合は「モテ」であり、山本さんの場合は「文学」であるということか。やはりオタクを貫き通そうとすると、似たような方法論に行き着くのだろうか。

 とにかく熱い本なので、価値観がマッチするひとは熱狂しながら読めるだろうが、そうでないひとは多少なりとも白けた気分になってしまうかもしれない。

 ぼくはその中間くらいで、古典から新刊まで網羅するその知識量に圧倒される一方で、やっぱり「なんだかなあ」と思ったりもする。

 もちろん、異論反論は覚悟のうえで意図的にやっているのだろうから、一概に批判できるものではないのだが、それでもどこか釈然としないものがのこる。かんたんにいってしまえば、センスの違いを感じるのだ。

 たとえば山本さんは、「底抜けのポジティヴな発想で空想の翼を広げるからこそ、SFは多くの読者を魅了する」(101ページ)と書いているが、やはりぼくは能天気なポジティヴSF(現代でいえば、小川一水あたりが代表格か)には共感しきれないものを感じる。

 ここらへんは個人的な感性の差であると同時に、世代的な差でもあるのだろう。なにしろ山本さんとぼくでは20歳以上の年齢差がある。多少の価値観の食い違いは当然だ。

 それに、ぼくが一生懸命SFを読んでいた90年代は、いわゆる「SF冬の時代」で、SF小説の出版点数そのものが激減したり、「クズSF論争」なるあまり次元の高くない論争が起こったり、なかなかなさけないありさまだったのである。ほとんどSFには未来を見出しようがなかった。

 したがって、そのころ入手可能な過去の名作を読み飽きると、ぼくのSF小説に対する興味は薄らいでいった。生まれた時代が悪かったということだろうか。

 まあ、おもしろい本には違いないので、これからSFを読んでみようという読者は試しに読んでみるのもいいかと思う。

 紹介されている作品は絶版のものが多いため、ブックガイドとしてはあまり役に立たないが、荒唐無稽なSFの魅力(の一面)は伝わってくるはずである。

 そういう意味では、名著といえるだろう。