その5

 一方、短編は「長編のセルフ二次創作」なので、長編と同じ「シミュラークルの層で展開される小さな物語」なのですが、登場人物は「長編」から借りてきています。しかし「長編」は「テヅカ・イズ・デッド」でいうところの「テクスト」なので、そこから遊離できるのは結局「キャラ」だけです。そして短編というシミュラークルは「小さな物語の強度」が弱いのでキャラはキャラクターになれずキャラのままです。

 富士見ファンタジア文庫の話をしよう。

 同文庫では、長編連作作品と並行して、キャラクター主体で、多くはコミカルな内容の短篇作品が発表される傾向がある。

 その嚆矢はやはり神坂一スレイヤーズ」だろう。2006年現在、「スレイヤーズ」の本編は全十五巻で完結しているが、番外編にあたる「スレイヤーズすぺしゃる」は、既刊二十五巻を数えてなおつづいている。

 筆者は「スレイヤーズ」についてそれほど詳しくない。しかし、いわば「外伝」にあたる作品が、本編をはるかに越えてつづいている現実には興味深いものがある。

 しかも、先述したようにそれは富士見ファンタジア文庫では少なくないことなのである。「魔術師オーフェンはぐれ旅」、「フルメタル・パニック!」など富士見ファンタジア文庫の人気作品はおなじように短篇版が発表されている。

 この短篇版を、id:REV氏は「セルフ二次創作」と呼ぶ。また、以前、チャットで、似たような意味で「1.5次創作」ということばが使用されているのをみかけたことがある。なかなか的確な呼称なのではないだろうか。

 作家自身による二次創作という観念は矛盾してはいるようでいて、しかし一概に否定できないものがある。たとえ書いているのが作者自身であっても、作品とのあいだの距離感は、一般的な二次創作作品と変わりないかもしれないのだ。

 それでは、我われは長編版と短篇版を連続的なものとして受け止めればいいのだろうか、それとも非連続的に受容するべきなのだろうか。

 たぶん、その双方の態度が必要になるだろう。多くのばあい、短篇と長篇とは一応、おなじ世界の出来事とされているが、じっさいにはそれは方便に近く、短篇と長篇ではしばしばリアリティのレベルが違うとしか思えない展開がつづく。

 設定としては連続的でありながら、物語としては非連続的。ここではそんな奇妙なかたちでの並立が成立している。

 そして両作品のメタレベルに存在して境界を越境しているようにみえるのが、キャラクターである。ここにおいて、物語はキャラクターを成立させるためのひとつのプロセスに過ぎないようにすら思える。

 いったん固有の物語という重力圏を脱出する速度に到達しさえすれば、キャラクターはそこで単独の生命をもつに至るかにみえるのだ。

 それでは、現代においては、物語はもはや以前ほど必要とされていないのだろうか。(最終回へつづく!)