その「てのひらの迷路」には、一篇が原稿用紙十枚ぶんの掌編が、二十四篇収録されています。つまり小説の分量はあわせて二百四十枚ほどということになる。
さすがにこれだけでは一冊の本を埋めるには至らないので、あわせて自作解説のようなエッセイが掲載されています。そのなかのひとつに、こんなことばがありました。
土地というのは、結局はみんなのものだと思う。そこですこしだけ生きて、いつかは誰かに返すものなのだ。
かんがえてみればあたりまえのことだけれど、意表を突かれた。
土地は個人のものにはならない。企業のものにも、国家のものにもならない。それはひとが所有できるようなしろものではないのです。
なぜって、土地は何百万年もまえからそこにあり、そして何百万年あと、人類がいなくなったあともそこにありつづけるのだから。
ひとびとはそこに看板を立てて、じぶんのものにしたつもりになる。そんなちゃちな占領なんて、大地のスケールからみれば、瞬く間のことにすぎないのに。