この本を読んでいてちょっと面白いと思うのは、敵の戦力に比べて味方の戦力が圧倒的に高い場面がしばしば出てくるところ。(もちろん逆もあります)
日本の場合、大抵主人公側が劣勢に立たされていて、それをひっくり返すところに醍醐味を感じる場合が多い。
しかし、この作中でははっきり言って「弱いものいじめかよ!」というくらい、敵が可哀想な状況に陥る事もしばしばある。

 金庸の作品でも後期のものになると、やはり主人公が絶対不利の状況におかれることが多くなっている気がします。

 デビュー作である「書剣恩仇録」は金庸の小説のなかでも異彩を放つ作品で、ありていにいってしまえばまだ作風が確立されきっていないので、味方のほうが有利な局面が多く設定されているのではないかと思います。

 金庸武侠小説最大の特色である成長物語の要素が次作である「碧血剣」ですが、この作品でもまだ主人公の危機はそれほど深刻にはなりませんね(むしろほとんど無敵に近い主人公が雑魚どもを蹴散らす場面が多かったような)。

 それにくらべて後期の作品では試練もぐっと厳しさをまして、主人公たちはありえないほど次々と絶体絶命の危機にたたき落とされている気がします。

 なかでもなんといっても最も印象的なのは、「秘曲笑傲江湖」第1巻の令狐冲VS田伯光戦でしょう。「万里独行」の異名をとり、自分をはるかに上回る武術の腕をほこる田伯光に対し、令狐冲は孤剣、敢然と立ち向かいます。

 その目的はたまたま出逢った少女儀琳を助けるためなのですが、令狐冲の意中の女性はべつにいるため、色恋目的ですらありません。

 しかもこのたたかいは直接えがかれることはなく、みごと令狐冲によってたすけだされたあとの儀琳の口から語られるのです。金庸作品に名勝負は数あれど、個人的にはこれがベストバウトかもしれない。とにかく印象的な展開です。

 お話の筋立てのおもしろさという点では金庸全作品中でも白眉というべき「笑傲江湖」、広く薦めたいところなんだけれど、いまだ文庫化もされていないんだよなあ。徳間書店さん、せめてこれだけでも文庫化してくれないものかしら。

 余談。金庸の作品は完訳されていないという話がある。そうなんだよな、読んでいると「本当は原典はもっとおもしろいんじゃないか?」と思うことがたまにあるんだよな。知りあいから直接「原典は全然ちがう」ときいたこもあるし。

 でも、僕は不幸にして日本語しか読めないのだ。もし中国語が読めるなら、金庸の原典や、金庸に匹敵するおもしろさだという梁羽生の作品を片っ端から読みあさるのに。読みたい本を読みたいだけ読もうと思ったら、絶対に日本語だけじゃ足りないよな……。

 ああ、本気で中国語勉強しようかな。でも、僕の根気じゃ続きそうもないし、語学の才能もないし。金庸が読めるようになるまで何年かかるやら。黄薬師*1の頭脳がほしいところ。

 余談その2。「中国では金庸の原作はあまり読まれていない。ドラマが人気」という話をきいて、「なに。おもしろいのに!」と思っていたが、考えてみれば日本でも「バジリスク」がいくら人気出たって山風の原作はあまり読まれない。似たようなものか。

*1:射雕英雄伝」の登場人物の一人。天才的な頭脳をもち、あらゆる学問に精通している。性格はほとんど海原雄山。ただし100倍過激で、気に喰わない奴はあっさりと殺してしまう。主人公も何度も殺されかける。