容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

 読了。

 なんとなく連城三紀彦っぽいですね。この小説を読んでおもしろいと思ったひとには、ぜひ「戻り川心中」を読んでもらいたいものです。僕のなかでは霊長類最高傑作級に認定済みの短編集です。

 で、二階堂黎人氏の発言についてなのですが――ああ、うん、わかるわかるわかる。どうしてそういう結論に至ったのかはよくわかる。

 ぼくも途中まで似たようなことを考えていた。で、結末のところで「あれ?」となってしまったんだけれど。これについてはネタバレを含むのであとで書き足しておくことにしよう。

 それはともかく、二階堂さんの「本格」観にはやはり多少むりがあると思う。仮にかれの定義を受け容れて、「《本格推理》とは、手がかりと伏線、証拠を基に論理的に解決される謎解き及び犯人当て小説である」と認めるとしましょう。

 そして、「容疑者Xの献身」がそうであるかどうかはともかく、本文中に結末を予想させる伏線がない作品は「本格」とは呼べないとしましょう。

 そうなると、作者の不備により結末への伏線をしくことに失敗している作品も「本格」とはいえないことになる。いいかえるなら、「本格」というジャンルには伏線に不備がある作品は存在しないことになってしまうわけです。*1

 これはいかにも都合が良すぎる。ほかのジャンル(もしくは「広義のミステリー」)に失敗作を押し付けるようなことになりかねない。それはちょっと図々しい話だと思います。

*1:たんに伏線をしくことに失敗している作品と、意図的に伏線を活用していない作品は違う、という意見もあるだろうけれど、僕はそれを明快に区別するのはむりだと思う。