ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

 読了。

 イーガンの通ったあとはぺんぺん草一本生えない。



 グレッグ・イーガンは間違いなく現代SF最高の書き手だ。「ほとんど独力で現代SFの最先端を支えている」とまで賞されるその天才は、文字通りの意味で唯一無二。オーストラリアから世界へ発信される作品は、そのたびにセンセーションを呼び、賛否両論の激論を巻き起こす。

 イーガンのなにがそれほど凄いのか。発想が凄いのだ。イーガンの前では、過去の最も誇大妄想的な作家ですら顔色をなくす。

 もっとも、イーガンの発想は、根本的なところではそれほど独創的ではないことも多い。仮想現実、人工知性、タイムスリップ、パラレルワールド――いずれも古今のSFで使い古されたアイディアだ。

 かれの凄みは、そのアイディアを徹底的に突き詰めていく点にある。この作家は決してブレーキを踏まない。その思考は人間のイマジネーションの限界点に達するまで、どこまでも、どこまでも、加速していく。過去のSF作家にとってゴールである地点が、かれにとってのスタートなのだ。

 たとえば、短編の傑作のひとつ「無限の暗殺者」は、パラレルワールドものの作品である。しかし、イーガンはひとつやふたつの並行世界では満足しない。千や二千、百億や千兆でも同じ。

 かれの想像力はまさに無限の並行世界が転移していく光景を描き出す。使い古されたアイディアが、奇跡的に新しいかがやきを帯びる瞬間だ。だから、「イーガンの通ったあとはぺんぺん草一本生えない」。イーガンはそのアイディアの最終到達点を導き出してしまうのである。

 本書「ディアスポラ」はそのイーガンによる「ウルトラスーパーハードSF」。過去のイーガンの作品にも増して難解なことで知られている。解説者が「わからないところはがんがん飛ばせ」と指示している小説など前代未聞だろう。しかもこの小説を読み上げるためのいちばん適切な方法はたぶんそれなのだ。

 特に冒頭から50ページほどはきわめて理解困難な描写が続く。いやもう、これが笑っちゃうくらいわからない。仮想現実空間で生きる人工知性が生み出さていることは理解できるんだけれど、その具体的なプロセスはさっぱり。ここでいきなり脱落してしまう人は少なくないに違いない。

 しかし、ここを抜けるとかなりわかりやすくなってくる。仮想空間で暮らすヤチマやイノシロウといった「人物」は、現実世界(物理宇宙)で生きる人間たちとはまったく異なる存在であるにもかかわらず、人間以上に人間的である。ふつうの人間が抱えるあらゆる制約から解き放たれた彼らの生態が本書前半の読みどころだ。

 そして後半では、壮大な――あまりにも壮大な宇宙旅行ディアスポラ」が綴られている。そしてすべての困難を乗り越えヤチマが辿り付く「果しなき流れの果」。その静かな光景は「あらゆる文学形式の仲でSFだけが与えうる深い感動」をもたらす。

 科学部分はさっぱりわからないが、それでも読むにあたいする大傑作である。適当に飛ばしながら読みあげてほしい。理解不能部分が多いため、だけ減点しておく。