オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

 読了。

本書のテーマは、実はそういうことです。オタクの楽園は本当に不毛の荒野、管理された箱庭、ポルノグラフィックなディズニーランドでしかないのか――ということです。その問題について考えるために、オタクの原点であるSFについて、いま一度考えてみよう、という作業の、とりあえずの最初の一歩です。

――本文より

 後の世で偉業とみなされる行為は、同時代の人間には狂気の沙汰にしか見えないことがある。そういう意味で、この本は偉業なのか狂気なのかはっきりしない一冊だ。なにせ長谷川裕一論で1冊本を埋めてしまっているんだから、無謀な話だよにゃ。

 しかし、あにはからんや、これは素晴らしくおもしろい本だった。本書の前半は長谷川裕一と筆者の対談で埋められている。そしてこの実に180ページにおよぶ、膨大な注釈が付された対談が、本書の最大の読みどころだ。

 あるページでは、注釈が対談本文の四方を覆い、なんというかまあ、見たこともないような紙面を形づくっている。あまりのことに、たまたま横にいた僕の母が「その本、どこから読むの?」と尋ねてきたくらい(真ん中から読むんだよ)。

 筆者がなぜこうも長谷川裕一に執着するのか、それは読んでいるとわかってくる(あるいは、わかったような気になってくる)。

 まず筆者は、「オタクの原点」であるSFを「本格SF」と「ジャンルSF」に分け、前者を「作中世界の現実性へのこだわり」が濃いものと定義づける。

 そして筆者はおそらく、一見するとディズニーランド的ジャンルSFそのものに見えながら、その実、本格SF的な視線をそなえた作家として、長谷川裕一をまな板のうえに置いている。実際、この本を読んでいると長谷川裕一の思索的な一面が見えてくるんですね。

 問題は僕がここでとりあげられている「マップス」や「クロノアイズ」といった作品を全然読んでいないこと。「ガンダム」にしてもどこまでがこの目で確認した知識で、どこからが「スーパーロボット大戦」で植え付けられた知識なのか怪しいしなあ。

 たぶん僕はこの本の読者としてあまりふさわしくないのだろう。いくらたくさん注釈が付けられているからといって、そういった間接的な知識と実際に読む経験とがかけ離れているのは当然だ。「マップス」と「クロノアイズ」を読んだらもう一度読みなおしてみよう。

 ただ、冒頭の「オタクの楽園は本当に不毛の荒野、管理された箱庭、ポルノグラフィックなディズニーランドでしかないのか」という問題提起に対して明確な解答が見えてこないことは気になった。しかし筆者が言うようにこれは「第一歩」と捉えるべきなのだろう。

 とりあえずこの本で示唆されているのは、「不毛の荒野」に見えるものが秘めたもうひとつの可能性だ。自分が生み出したものの「実現可能性」についてとことん考え込んでいく「本格SF」の道。

 これはたぶんキャラクターに対する執着が「萌え」という快楽原則にとどまらない可能性を導いている。「本格SF」的な態度においては、作家は、生み出されたキャラクターにただ耽溺するのではなく、その存在についてどこまでも考えていかなければならないはずだから。

 ちょっと高いけれど、広い意味でのSFファンなら座右の一冊として持っていて損はない本だ。