流行っているのでやってみた。おもしろいからみんなもやれ。
書評右翼
批評派
・☆☆☆☆☆で五段階評価
〇。やりまくっている。ちなみに僕のは「本の雑誌」の書評記事の真似です。
・だ・である調
△。半分くらいはそうかな。まあ、同じスタイルだとマンネリになるしね。
・もう何年も傑作を読んでいないと主張
×。言わない。そもそも何年も傑作を読んでいないような奴の言うことなんか信用できないんじゃないかな。それ、ただたんに作品を見る目がないってことでしょ。
・劣化とかデッドコピーとか言う
×。言わない。
・ジャンル分けが好き
△。特にジャンル分けに拘泥するほうではないと思う。ただ、ジャンルフィクションの文脈で語られなければならない作品というものはたしかにあって、完全にジャンルを否定するつもりはありません。
ここからは余談だけど、僕は子供の頃、いまでいうライトノベルを浴びるように読んで育った人間です。だけど、僕が子供だった頃は「ライトノベル」という枠組みは存在しなかった。このことは僕の読書傾向を決定付ける際に非常に大きな影響を与えていると思います。
その頃は、いまでいうライトノベルと、「ヴァレリア・ファイル」みたいな比較的大人向けの作品、「ドラゴンランス戦記」のような翻訳小説、それからゲームブックなどが非常に混沌と売られていたんですね。
だから逆にジャンルの垣根を越えて純粋に「おもしろいもの」を捜していけたんだと思う。翻訳ファンタジーとかもふつうに紹介されていたしね。ファンタジーブームには功罪があるけれど、あれはあれで、良い時代でした。
・客観的評価であるかのように「駄作」と言う
×。言わない。僕は過去1000日弱くらい書評日記を書いていますが、作品を駄作と表したことは一度もありません(いま検索して調べた)。なんて心優しいんだろう。
・批判目的で嫌いな作家の本を買う
×。どこのお金持ちですか、そんなことをするのは。
・本を壁に投げたことがある
×。ありえない。本に罪はない。
・「今はもう惰性で読んでいる」を多用
×。惰性で読んでいる人間に真剣に書かれた作品を評価する資格はないんじゃないだろうか。そもそも惰性で行動しているって全然自慢になることじゃないですよね。なんで「惰性で読んでいる」という奴はああ自慢げなんだろう。
・地雷と呼ばれる作品に積極的に手を出し、生き生きと散々に貶す
△。踏んでみないと本当に地雷かどうかわからない。読んでみた結果、肯定的な評価ができない作品ならそう書きますね。正直者で通っているもので。
・「こんな本読んでる奴は本当に凄い小説を読んだことがないんだろうな」とか言う
×。言わない。読んでいる本の内容はそのひとの知性を決定づけない。
・フェア・アンフェアにこだわる
△。まったくこだわらないわけでもないですね。ミステリ業界特有のテクニカル・タームとしては、たしかに便利な言葉ではあります。ただまあ、フェアだ、アンフェアだとはいっても限りなくあいまいな基準ではあるので、濫用は慎みたいところです。
・自分の予想を外されたら評価を下げる
×。予想を外されたらむしろ喜ぶ。ただまあ、予想を外しさえすればよいというものでもないのはたしかで、納得できない展開だったら評価が下がるのは当然です。
・自分の予想通りに進んでも評価を下げる
△。予想通り進んで、陳腐な展開になってしまったら下がるでしょうね。ただまあ、お約束の魅力というものもたしかにあるので、一概にはいえません。「水戸黄門」で悪代官が勝って終わったところで、だれも喜ばないでしょ。
・悪貨は市場から駆逐しないといけない
△。だれがどうみても明白に「悪貨」であるものなら駆逐されるべきだろうけれど、現実にはなかなかそう単純に言い切れないからな……。ジャンルの健全な成長のためには、玉石混交が望ましいと思う。「玉」だけでも「石」だけでもうまくいかない。
・ツンデレ
×。
・実はアフィリエイトやってみたい
×。やっていませんし、やる予定もありません。儲かるならやってもいいけれど、どうせ二束三文の利益でしょ。でもはてなダイアリーを有料化する程度の利益は出るかなあ。うーん、ちょっと気持ちが揺らいできた。そのうちやるかもしれません。
・ジュブナイルポルノにちょっと興味がある
〇。えろえろよー!
・『わたしたちの田村くん』を読もうか迷っている
×。既に読みました。
・獣人毒者*
知らん。
書評左翼
感想派
・あらゆる小説は平等に面白い
×。おもしろいけれど、平等ではない。ただもちろんこれは僕の視点からいっているのであって、神の視点からなら平等におもしろいかもしれない。
・作品に点数はつけられない
〇。採点そのものは可能だけれど、お遊び以上の意味はないでしょうね。
・ですます調
△。前述したように、場合によります。
・面白くないと思ったら、それは読者の読み方が悪いから
△。ケースバイケース。たしかに読み方をまちがえていると思われるケースは非常に多い。書くほうはみな書くプロだけれど、読むほうがみな読むプロではないわけで、作品の本質を理解していない読み方がされることは少なくないはず。すべての本がそれを読むにふさわしい読者のもとへとどくのなら、悪評はほとんどなくなることでしょう。
・五冊に一冊くらいの頻度で傑作に当たる
×。その気になれば傑作だけを選んで読んでいくことは可能だと思うけれど、気力がないのでそこまではしない。どの分野でも傑作とは読者に知性と緊張感を強いるもので、必然的に疲れてしまう。ただもちろん、凡作ばかり読みたいわけでもないけれど。要はバランスである。
そういえば竹本泉の「しましま曜日」で、ヒロインの女の子がゲームマニアの知人からおもしろいゲームだけを厳選した上で貸してもらうエピソードがあったけれど、あれは至福だろうと思う。おかげで彼女は寝不足になってしまうので、よいことばかりではないのですが……。
・他の著者との類似点を挙げて人に薦める口実にする
〇。よくやりますね。
・ジャンル分けを極端に嫌う
×。前述したように、適度なら意味があると思う。
・客観的評価であるかのように「傑作」と言う
△。まあ、たまには。
・「この文章は主観的なものです」と但し書き
×。書くまでもないことだと思う。
・嫌いな作家はいないとうそぶく
〇。作品がつまらない程度の事で、会ったことがないひとを嫌いになったりしませんよ。
・「癖が強いので」「読み手を選ぶ」「人によって好き嫌いが大きく分かれる」を多用
△。たまには使うかな。じっさい、そういう作家っているわけだし。
・欠点を指摘せず良い所だけ誉める、または欠点を味と言い換える
△。完璧な作品というものがありえない以上、すべての作品になにかしらの欠点はあるといえる。それが重大なものでないなら無視することは当然ある。
・「ミステリーだと思ったらホラーだった。一本取られた!」むりやり誉める
×。でも「ホラーだと思ったらミステリだった!」なら褒めると思う。あと、島田荘司にはいっぺんミステリとしての制約がないホラーを書いて欲しい気はする。
・地雷と呼ばれる作品に積極的に手を出し、「これはこれで面白いと思うよ」とうそぶく
〇。前述したように、地雷は踏んでみるまで地雷とはわからない。また、ひとが低く評価する作品でも、どこかに良いところはあるものだとは思う。それに、他人より多く本を読んでいるのは他人より本を読むことが好きだからなのです。
・本当につまらなさそうな作品は本能的に避ける
〇。当然。
・本当につまらなかった作品は読まなかったことにする
×。ただし、読んだもののこの日記で取り上げない作品は、実はけっこうある。
・実はアフィリエイトやってみたい
×。前述した通り。
・ジュブナイルポルノにちょっと興味がある
〇。同上。
『わたしたちの田村くん』を読もうか迷っている
×。同上。
・獣人毒者
知らん。
〇=2点、△=1点、×=0点で考えると、書評右翼は10点、書評左翼は17点。僕がいたって穏やかな人間であることが証明されたな。