雪国 (新潮文庫)

雪国 (新潮文庫)

 読了。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん。」

 何を思ったのか川端康成の「雪国」を読んでみる。どこからどこまでゴシック・ロマンスの「荊の城」を再読していたら、なにか日本的なものを読んでみたくなったのだ。

 日本的といえば川端康成、これでも越後の人間だから読んでいてもよさそうなものだが、ふしぎと「伊豆の踊子」は読んでもこちらは読んでいなかった。まあ、そういうものだ。しかし、こういう定評のある名作は評価に困るな。

 この小説の書き出しを知らないひとはいないだろう。たぶん「吾輩は猫である」あたりと並んで、日本でいちばん有名な書き出しだと思う。凡庸な作家ならトンネルへ入っていくあたりからえがきそうなものだが、抜けるとこから始めるあたりが川端さん、偉いものですね。

 トンネルを抜け出て入った雪国は、高湿度の国である。列車の窓硝子は湿って指で文字を描く事ができ、その向こうに女の顔が見える。たぶん今日に至るまで「雪国」が名作として語り継がれてきたのは、この湿度のおかげだと思う。

 日本人は湿度のなかで生まれ、湿度のなかで死んでいく。それがしっとりとした叙情性を生み、じめじめとした依存性をも生む。そうした国の物語である「雪国」は、ひたすらに美しく、茫洋としていて、捉えどころがない。

 いったい島村という男は、なにを考えているのだろうか。まったく、こういう小説を純文学などといっていいものなのでしょうかね。こういうものを読むと、次は村上春樹でも読んでみたくなる。そうして読書紀行は際限なく続いていくのである。嗚呼。