ちーちゃんは悠久の向こう (新風舎文庫)

ちーちゃんは悠久の向こう (新風舎文庫)

 読了。

 趣味といえば読書、読書といえば中毒とすぐに答えられたあの懐かしくもあり懐かしくもない青春の日々も今は遠い昔、すっかり小説読書の習慣も失せ、いまではほとんど個体としての名前も喪失して漫画とライトノベルしか読まない資本主義社会の歯車Aと化している最近の僕ですが、この本だけは読まないわけにはいかないでしょ。

 日日日。この作品の作者だが、しらない人のほうが多いかもしれない。新人です。それはもうつい最近デビューしたばっかりのど新人なのですが、既にネットの各所では有名人。

 なんと五つの新人賞(もっと増えるかも)を同時に受賞するという快挙をやってのけたこの才能は、現時点でまだ高校生らしい。これでは期待するなという方が無理ですね。

 なにより、この状況は、同じく高校生のときに静かな老成すら感じさせる作風の「夏と花火と私の死体」を書いて登場した乙一を連想させずにはおかない。

 実際、既にネット上では両者を比較した文章をいくつか読むことができる。まあ、たしかにこの小説は「カザリとヨーコ」と「天帝妖狐」を足したような話といえなくもない。ふたりとも変な名前だし。

 しかし作風的には乙一との共通点はあんまりないんじゃないかと思う。どっちも分類しにくい作風というくらいで。

 裏表紙には「「変わるはずがない日常」が音を立てて崩れ落ちていくさま、それをただ見続けるしかない恐怖を描いた、新感覚のジュヴナイル・ホラー」と書かれていますが、あまり怖いお話ではありません。不気味な雰囲気はあるけど、恐怖は感じない。

 主人公は日夜両親から虐待を受けてゴキブリのように扱われている高校生の少年で、「ザンビアあたりの難民よりマシ」な状況ながらそこそこ平穏な彼の日常は、しかし幽霊に憧れる幼馴染みのちーちゃんが引き起こした怪奇な事件を境にずたずれに引き裂かれていきます。

 はたしてちーちゃんと供に壊れていく日常を修復する術はあるのでしょうか――というのが物語。文体を取り上げて最近の若い者はどうしてこう饒舌なんだとオヤジぶってみたい気もしますが、その饒舌さも西尾維新ほど極端ではなく、たぶんいたって普通の小説の範疇にとどまっている。

 西尾作品から過剰さを取り去ったらこんな感じかも。「君と僕のわりと壊れた世界」というか。もっと簡単にいえば「悠久はあるよ。ここにあるよ」という話なんですけど。

 なんとなくダブル・ミーニングな物語が極限の破綻を見せる結末も秀逸で、たしかに十六、七でこれを書けるのって大した才能だよなあ、と素直に感嘆。

 久美沙織さんによる褒めているのか貶しているのかよくわからない解説もおもしろいです。新人にいきなり説教するなよ。はてさて、この新人賞荒らしの行く末やいかに? 続きは「私の優しくない先輩」の感想で(読んだらね)。