零崎双識の人間試験 (講談社ノベルス)

零崎双識の人間試験 (講談社ノベルス)

 読了。

 いーちゃんの一人称に縛られる戯言遣いシリーズの裏側をえがく、ようするに上遠野浩平における「ビートのディシプリン」みたいな作品。

 時間的にはたぶん「クビシメロマンチスト」のあとで、「ヒトクイマジカル」の前。作品の出来としては、うーん、戯言遣いシリーズと比べると一歩劣るかな。

 やっぱり物語の骨格が甘いのではないかと思う。戯言遣いシリーズでは、たとえどれほど弱いとしても、根底に推理小説としての構造があって、それが暴走する物語世界をギリギリのところで一定の限界にとどめている。

 しかしこの作品ではいくつかのバトルが逐次的にえがかれ、そのあいだに設定情報が展開されるだけで、作品をつらぬく物語の慣性とでもいうべきものが欠けているような気がする。

 もちろん西尾維新特有のあの戯言文体は健在で、リーダビリティは抜群に高く、すらすらと読めることは読めるんだけれど、戯言遣いシリーズの奇妙な濃密さに馴れてしまうと、いささか内容が薄く感じられることはしかたない。

 というわけで、あまり十全ではありませんでしたわ、ディアフレンド

 このシリーズにはER3システムの七愚人とか、「四神一鏡」とか、玖渚友の「チーム」とか、「殺し名」七つとか、「呪い名」六つとか、「十三階段」とか、人類最強とか、人類最悪とか、「世界大戦」とか、とにかく無意味なまでに膨大な設定が登場する。あたかも物語を唄うことを忘れて情報の快楽に惑溺するかのように。

 じっさいにどれだけが物語のなかに登場するかはともかく、設定上存在するはずのキャラクターの数をかぞえていけばすでに数百名にもなるのではないだろうか。

 わかるんだよね、ぼく。どうしてこういうことをやりたがるのか。感覚的に非常に共感できる。こういった設定のかずかずは読むひとによっては幼稚にみえるかもしれないけれど、すくなくとも僕にとってはある種のカタルシスがある。

 もちろんただ名前だけ増やしていけばその設定は空虚なものに成り下がるだろうが、西尾維新は個々の人物の装飾的にえがくことにかけて稀有な才能を有していて、ひとりひとりのキャラクターをその装飾により差別化することによって、世界観に一種の厚みを生み出していると思う。

 ただ、それはやはり物語のシンプルな魅力と表裏をなすものでなければならないとおもうのです。設定がどれほど豊穣をきわめても、じっさいに物語のなかでそれが活かされることがなければ、根を失った樹のように枯れはてることだろう。

 「ファイブスター物語」が偉いのは、その天才的なデザイン力に頼ることなく、スタンダードなものがたりのおもしろさを追求していることで、それがあるからこそあの奇抜なデザインが生きてくる。西尾維新にはさらに波瀾に充ちた物語をこそ期待したい。